今夜は眠れるかな

木村リュウジのブログ。神経症患者としてでなく、ひとりの人間としての日々の思い 。Twitter→(https://mobile.twitter.com/ryjkmr)

別れました

こんばんは


久しぶりにブログ更新をします。


まだ完全に情緒が安定してきたワケではないんですが、書き留めておこうと思ったことがあったので。


先日、彼女と別れました。


昨年の8月から付き合いはじめて、およそ1年と3ヶ月の期間でした。


別れることになった原因を詳しくは書きませんが、その1年3ヶ月の間、気づかないうちに私は彼女にたくさん気を遣わせてしまっていたようです。


申し訳ないと思います。


ただ、だからといって会いたいかと訊かれるとすぐには肯けません。
いまは、彼女と距離を置いて、これまでの日々を振り返ってみたい気持ちのほうが強いです。


失恋の体調への影響は、自分が想像していたより軽いものでしたが、それでもやはりありました。


まず、不眠。このブログを書いているいま、時計の針は午前3時を回ろうとしています。


睡眠導入剤を服めば良いのでしょうが、最近、服んだ直後と翌朝のだるさがひどく、なるべく服まないようにしています。
いま勤めている会社のアルバイトが午後12時から9時までなので、午前11時15分くらいにお昼を食べているのですが、そのだるさのために直前まで布団に潜ってしまっています。


次に、虚しさ。「これまでの日々を振り返ってみたい」という思いに嘘はありません。しかし、それはこれまで出来たことを振り返る作業でもありますが、出来なかったことを後悔する作業でもあります。
2人で出かけようと言っていた場所。
2人で食べようと言っていたご飯。
彼女からは「友達に戻りたい」と言われました。なので、全く会えなくなるワケではありません。


しかし、そうした付き合っているときに出来なかったことを数えると、やはり以前のような関係ではないことを改めて認識させられます。


そうしたとき、ふと、自分が一人ぼっちのような、ひどく虚しい思いに駆られます。


それを強く感じるのは仕事中です。
また、何故かは分かりませんが、時間があって自分が以前に書いた業務用のマニュアルを見返しているようなときよりも、
慌ただしく書類や伝票を整理しているようなときにそんな思いが強くなります。


なにか、時間の荒波に飲まれて、自分の足場が無くなってしまうような感じがします。


叶うなら、静かにゆっくりしたい。日付けが変わって今日は休日なので、そうしようと思います。


・・・病気のせいで失恋したとは考えたくありません。あくまでも私の性格の問題であり、その性格と彼女の性格との不一致に原因があると考えています。
そうでも考えないと、ますます今回の悲しみが広がっていってしまう気がするので・・・


本当は、この失恋から考えた色々なことをかいてみるつもりでしたが、考えがまとまりきれず、現状報告に終わってしまいました。
そして、結果としてこんなウジウジした記事になってしまいました。ごめんなさい


時計の針は午前3時半を指そうとしています。私のまぶたも少し重たくなってきた・・・ように感じます。


今夜は眠れるかな。おやすみなさい。

 

無題

 

こんにちは

 

昨日から体調が悪く、また気分も沈んでいます。

 

なにもしたくなくて、布団に横になっています。

 

とりあえず、最近のことをいくつか書き留めておきたいと思います。

 

・先週の台風

先週の台風の影響ですが、大久保の俳句文学館までなんともなく行けたことからも分かるように、体調を悪くすることはありませんでした。

元々、先々週の台風ほど大きなものでは無かったことも理由にあるでしょうが、とにかく良かったです。

 

・診察

11月1日、埼玉医科大学に診察に行きました。

このことは改めてブログに書けたら書くつもりですが、最近、希死念慮がまた起こりつつあります。

特に仕事をしているときによく起こります。

とにかく、「自分は周りの人に迷惑をかけるだけの存在だ」ということと、「それなら、いっそいなくなってしまいたい」ということばかり考えてしまいます。

そのことを医師に話すと、「薬をきちんと服んで、ゆっくり寝てください」と言われました。

そして、やはり自分が予想していたとおり、抗不安剤睡眠導入剤ともに前回の2週間分から、4週間分に量を戻されて処方されました。

 

・・・なんだか、10月30日に俳句文学館へ行ってから、体調が悪く、気分も沈んでいる状態が続いています。

 

以前、「夏まで生きていようと思った」という記事で、「8月の誕生日を終えて、私のなかでひとつの『この日までは生きよう』というモチベーションが無くなりつつある」ということを書きました。

 

http://ryjkmr.hatenablog.com/entry/2017/08/09/060003

 

それと似たような状態が、また起こっているのだと思います。

俳句文学館が前から行ってみたい場所だっただけに、そこへ実際に行き終わって、なんだか気が抜けてしまった感じです。

 

誕生日を迎えたとき、彼女や友人から「おめでとう」と言ってもらったことが嬉しかったように、

俳句文学館へ行けたこと自体はとても楽しかったのですが・・・。厄介ですね。

 

とりあえず、最近の状態はこんな感じです。

 

叶うなら、やわらかい布団の上でずっと眠っていたい。

誰とも会わず、何もせず。

 

ブログは、また書けるときに書きます。

 

ごめんなさい。少し疲れました

 

大原テルカズへ逢いに 〜俳句文学館へ行ってきました 1〜


こんばんは


今日は、大久保にある「俳句文学館」へ行ってきました。

 

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ここの図書室には様々な句集や俳誌が所蔵されているのですが、私のなかでの最大の目的は大原テルカズ(1927〜1995)という俳人の句集を読むこと。
今回は、大原テルカズの俳句について書いていこうと思います。
そして、長い内容なので目次付きでお読みください。


目次


1 大原テルカズを知ったきっかけ


2 『黒い星』


3 『大原テルカズ集』


4 大原テルカズとは


1 大原テルカズを知ったきっかけ


大原テルカズの俳人としての知名度は、あまり高くありません。私も一昨年くらいに倉阪鬼一郎『怖い俳句』(2012年 幻冬舎新書)のなかで取り上げられているのを読んで知りました。


『怖い俳句』には、書名の通り江戸時代の松尾芭蕉から戦後に生まれた人まで、様々な俳人が詠んだ「怖い俳句」が収録されている本です。
しかし、そうした様々な俳人のなかでも、私のなかで大原テルカズの印象は特に強く残りました。


それは、その作風によるものです。『怖い俳句』に収録されている彼の句を紹介します。


枕辺に夢みよと誰が藁捨て置く


寝ている枕元に、何者かが「夢みよ」と藁を捨てていきます。随分と奇妙な発想の句ですし、また「誰」が何者なのか全く分からない不気味さも感じます。


その他にも、『怖い俳句』のなかに収録されている大原テルカズの句には


懶惰てふ體内の墓地晩夏光


積木の狂院指訪れる腕の坂


等があります。


まず1句目についてですが、懶惰(らんだ)とは、怠けること。自分のなかの怠ける心を「體内(体内)の墓地」と表現する重苦しさが印象的です。加えて「晩夏光」つまり、夏の終わりの光が自分に降り注いでいるのですから、「墓地」という表現と相まって、怠けるどころか、生きる気力すら感じさせないような句です。


2句目ですが、まず「積木の狂院」という表現が印象的です。「積木の家」なら微笑ましく感じますが、わざわざ「狂院」、つまり精神病院と特定されると、その雰囲気はガラッと変わります。
そして、その積木の狂院に、腕を這わせて指が訪れていると言っています。
私は、この積木の狂院に向かって、自分の腕を坂にして指を歩かせているその人物こそが、実際の狂院の患者なのではないかと思います。つまり、狂院と言っているにも関わらず、この句は狂院の内部の光景を詠んだものなのです。
大原テルカズの句について広く言われていることですが、彼の句は江戸川乱歩夢野久作の怪奇的・猟奇的な作風と似通った部分があります。
この句は、そうした部分が前面に押し出された句と言っていいでしょう。


このように『怖い俳句』で知ったときから、俳号がカタカナであるという珍しさも合わさって、大原テルカズの句は忘れられないものになりました。
早速句集を読んでみたいと思いましたが、彼の句集は2冊しかなく、しかもどちらも半世紀以上前に上梓されたものであり、Amazonにも古本屋にも出回っているのを見つけられませんでした。
また、俳句文学館の存在は知っていましたが、なかなか都合がつかず行けませんでした。


しかし、今回都合がつき、また俳句文学館にその2冊の句集ともあることを確認出来たので、思い切って行くことにしました。


2 『黒い星』


俳句文学館の図書室は、俳誌の最新号や、歳時記、俳人名鑑といった本はそのまま本棚から手に取って読めますが、その他の多くの本は専用の紙に書名等を書いて、司書の方に書庫から持ってきてもらう仕組みになっています。
大原テルカズの2冊の句集も、そうした書庫に入っているものでした。


大原テルカズの句集の書名は、それぞれ『黒い星』(1959年 芝火社)、『私版・短詩型文学全書6 大原テルカズ集』(1966年 八幡船社)といいます。『大原テルカズ集』は何冊かあるシリーズの1冊として上梓されたのでこうした平凡な書名ですが、一方の『黒い星』という書名は、これまで述べてきたような作風の印象をより強くさせるものだと思います。事実、この『黒い星』のイメージからでしょうが『怖い俳句』のなかでも大原テルカズは「暗黒詩人」と称されて紹介されています。


2冊の句集の書名を専用の紙に書いて司書に渡すと、いよいよそれが運ばれてきます。
『黒い星』『大原テルカズ集』ともに、いままでそのタイトルだけ知っていて全貌が掴めなかった本でしたから、やはり実際に手に取ったときは感動しました。


私は、『黒い星』のほうからそのページを開きました。最初に大原テルカズの師にあたる俳人・大野我羊の序文、次にテルカズと親交のあった俳人・高柳重信の「序にかえて」という文章を経て、いよいよ俳句が始まります。


しかし、『黒い星』の最初に載っていた俳句は、次のようなものでした。


冬晴のオリーブの葉を嗅いでみる


思わず「えっ?」と声を挙げそうになりました。「暗黒詩人」としての大原テルカズのイメージからはあまりにもかけ離れた、さわやかな句だったからです。
しかし、それもそのはずでした。この句には「千葉中学」と前書があります。彼は1941年、千葉中学校(現在の千葉県立千葉中学校・高等学校)3年生のときに作句をはじめましたから、まだはじめて間もない頃の句だと考えられます。


その後も、


歸るほかなし寒潮旣に夜へ走る


といった、割と目で見た風景をそのまま読んだ句が見受けられました。


『黒い星』を読んで、彼の作風が変わりはじめたのは終戦前後の頃だったと感じました。
終戦後に詠まれた句には、


陣痛の眼に兵隊の靴溢れ


ポケットからパンツが出て來た淋しい虎


といった、単なる風景から感じたことそのままではないものが増えているからです。


また、


十三夜廻舞臺のハムレット


複製の「狂女」(スーチン)と飮めり


といった西洋の文化をモティーフにした句も見受けられました。(ハムレットは言うまでもなくシェイクスピアによる演劇。スーチンとはカイム・スーチンというロシア生まれのユダヤ人画家で、「狂女」とは彼の作品のひとつ)


その後も


要保護者夜鳥のこえの間斷に


蠅わんさ來て絶叫の口掩う


といった不気味な句が並び、ここまで来ると私のなかの「暗黒詩人」のイメージと、実際の句から受けるイメージとが一致していきました。


特にすごい句だなと思ったのが


幼稚園葉桜吾子ら髑髏の實


という句です。句の解釈としては、葉桜の季節に幼稚園で自分の子を含む子供たちが遊んでいる。この子たちも、いまは可愛いけれど、きれいな桜が葉桜となりやがて冬木となるように、既に髑髏となる運命を潜んでいる、といったところでしょうか。
この解釈、そして「髑髏の實」という表現からも充分に不気味なのですが(笑)、特筆すべきはこの句の前書です。
この句の前書には「昨秋長女擬似日本脳炎たりしも障害なし」とあります。つまり、「昨年の秋、長女が日本脳炎のような症状になったが、後遺症となるような障害は無く治った」ということです。
この前書と合わせて読むと、句の不気味さは一層引き立つと思います。
つまり、テルカズは日本脳炎のような症状から治った長女が、幼稚園で他の友だちと遊んでいるという喜ぶべき実体験を見ても尚「吾子ら髑髏の實」と言うのです。
この句は大原テルカズのなかでもあまり知られていません。私も今日はじめて『黒い星』を読んで知りました。
しかし、私はこの句に俳人としての大原テルカズの本懐があると思います。
本来なら喜ぶべき体験を以て尚、人間の死を見つめようとするテルカズの姿には凄みを感じます。
『黒い星』を読み終えて、最も印象に残った句でした。この凄みに浸るまま、私は句集を閉じました。


3 『大原テルカズ集』


続いて『大原テルカズ集』を手に取りました。テルカズの2冊目のこの句集には、『黒い星』からの抜粋と、「心犬抄」という題で65句が新たに詠まれています。


今回「心犬抄」を読んで分かったのは、『怖い俳句』に収録されている句は、『大原テルカズ集』からの引用のほうが多いということ。先ほど紹介した


積木の狂院指訪れる腕の坂

も、「心犬抄」のなかに収録されています。


また「心の犬」という表現はテルカズにとって大きな意味を持っていたようで、『黒い星』にも


海坂に心の犬が曳くびっこ


占領旗心の犬が痺れいます


蒼いおけさで 心の犬煮つめる


といったように、多く登場しています。
しかし、「心犬抄」には「心の犬」という表現はあまり登場しません。強いて挙げるとすれば


母よ心犬咲くや波濤の肺


くらいでした。
恐らく、タイトルに「心犬抄」と付けた分、あえて句にはそうした表現を使わないように意識したのだと思います。


そうした「心犬抄」の全体としての印象ですが、『黒い星』より表れはじめた自分の心の内部が、より深く表現されていると感じました。また、そのため表現もより難解になっていると感じました。


例えば、


自説のような裏町混血の膿ひらく老婆


マッチに青い坊さんの群兄ら帰らず


星の領海エコーの頭蓋母ははハハ


といった句は、正直今日の今日ではそれぞれの単語に圧倒されるばかりで、まだ解釈の段階まで辿り着けていません。
でも、『黒い星』『大原テルカズ集』ともに気になった句は書き写してきたので、これからゆっくりと句に向き合っていこうと思います。(悪筆ですみません)

 

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4 大原テルカズとは


最後に、今日俳句文学館に行き、大原テルカズの俳句に触れたことから、自分のなかのテルカズに対する考えを書いてみたいと思います。
繰り返すように、大原テルカズは『怖い俳句』のなかで「暗黒詩人」と称されて紹介されており、句もそうしたイメージを裏付けるものが多いです。
また、これも繰り返すように彼の句は江戸川乱歩夢野久作の怪奇的・猟奇的な作風と似通った部分があります。


しかし、


幼稚園葉桜吾子ら髑髏の實


という句で感じた凄みからも、テルカズは乱歩や久作のように、全くのファンタジーとして怪奇的・猟奇的な句を詠んだわけではないと思います。
『黒い星』の「序にかえて」のなかで、高柳重信はテルカズの句についてこう述べています。


「いま、僕の眼の前には、この十余年間に、彼が秘かに剽めとり、秘かに貯えてきた多くの財宝が、――すなわち、『幼さ、卑しさ、愚かさ、古さ、きたならしさ、ひねくれ、濁り、独善、悠意』と彼が呼ぶところのものを蒐めた、句集『黒い星』がある。」


こうしたテルカズの、自身の句に対する認識を考えると、彼の句のなかの不気味な表現は、彼が人間に対して、そして自身に対して持っていた極めて強い性悪説的な考えの、切実な表れだと思います。


テルカズの句には


終湯は明日への穴のごと黒し


というものがあります。「終湯」(しまいゆ)とは、銭湯での最後のお湯のことです。その日1日多くの人が浸かった湯ぶねは、いくら浸かる前に体を洗うとしても垢で真っ黒になっています。
そうした終湯に入るということは、テルカズがそのくらい遅い時間まで働いて疲れ果てているということでもあります。
そして、その日の疲れを癒すためせめて入ろうとした銭湯でも、自分の前に広がっているのは垢で真っ黒になった湯ぶねです。
「明日への穴のごと黒し」という表現からは「明日からもこんな日々が続くのか・・・」と、ため息とともに漏れた言葉を想像出来ます。


先ほど、


幼稚園葉桜吾子ら髑髏の實


という句の凄みについて述べましたが、よく考えたら自分の子どもに「髑髏の實」という表現を充てている時点で、自身も「髑髏の實」であることを踏まえているのでしょう。


テルカズの一見不気味に、また難解に感じる表現にも、そうした自身について、生活についての切実な思いが潜んでいるのかも知れません。


しかし、そうした句を詠み続けることは恐らく体力的も、精神的にもしんどかったのではないでしょうか。
1966年に『大原テルカズ集』を上梓したテルカズは、2年後の1968年に『Unicorn』という、加藤郁乎等が中心となった俳誌の発刊に参加しますが、創刊号に参加したきりで『Unicorn』から離れてしまいます。このあたりから、寡作になっていったようです。
そして、そのあとは時折どこかの俳誌に作品を発表していたようです。
『俳句公論』(小寺正三主宰)1980年10月号に「鶴と犬」という題で


霊安所くずれ十字の霧腰かけ
孫曳くや黄泉をローマの石流れる
鶴と犬との骸に沈み霜蜥蜴
ししむらのコロナに次ぐや霜の華
脳裡緋に藍はた銀に或る町あり


という5句を発表します。これが現在確認出来る大原テルカズの最後の作品です。


そして、『怖い俳句』によれば1995年に亡くなったそうです。


今回、大原テルカズの句にまとめて触れ、彼に対する「暗黒詩人」としての印象は一層強まりました。
しかし、繰り返すようにそれが自身や生活の苦しみから表れた切実な表現だとすると、そうした呼び方だけで済むような俳人ではないことも感じました。


これから、少しずつではあっても大原テルカズの句に触れる人がいれば良いと思います。


また、俳句文学館では、大原テルカズの句集以外にも、はじめて読めた句集や俳誌がありました。
それらのことは、次の機会に書こうと思います。


では、おやすみなさい

 

台風

こんばんは


今日は、神経症の診断を受けてから初めて経験した台風について書き留めておこうと思います。


今週のはじめ、日曜日の夜から月曜日の明け方にかけて日本列島を勢力の強い台風が襲いました。


関西では、日曜日の夜に大阪府奈良県にまたがって流れる大和川が氾濫する等、大きな被害が出たようでしたが、皆さんがお住まいの地域では大丈夫だったでしょうか?


私の住んでいる埼玉県も、そこまで大きな被害は無かったものの、やはり家の壁が揺れるほどの風が吹き、一晩中雨戸がガタガタと鳴っていて、大変に騒々しかったです。


しかし、私を困らせたのはそうした夜のこと以上に、日付が変わって月曜日になってからのことでした。


気圧が乱れると、頭痛等の体調不良が現れる人がいますが、神経症等の心の病になると、特にそれがはっきりと現れるそうです。


神経症ではありませんが、Twitterでフォローしているうつ病の方も台風の気圧の乱れによる体調不良を心配していましたから、やはり心の病を抱えた人に広く当てはまることなんだろうと思います。


そして今週の台風は、私にもそうした体調不良を感じさせました。
月曜日のお昼頃。風は強かったですが、空には台風一過と呼ぶのに相応しい抜けるような青空が広がっていました。


私はその日仕事が休みだったのですが、ある用事のため東京のある場所まで出かけていました。
段々と体調が悪くなっていったのは、その用事を済ませ、帰り道の駅まで向かおうとしていたときでした。


具体的な症状としては、頭痛や息苦しさの他に腹痛がありました。いきなり歩けなくなるくらいにお腹が痛くなってしまいました。


駅のお手洗いに行き、しばらくホームのベンチで休んでいましたが、やはり頭痛や息苦しさは良くなりませんでした。


実は、月曜日はその用事の他に、夜からまた都内の別の場所で用事があったのですが、この体調では行けないと考え、やむを得ず欠席の連絡をしました。
体調不良が原因とは言え残念ですし、申し訳ないと思いました。


お昼頃の用事から夜の用事まではだいぶ時間があったので、都内のどこかで時間をつぶそうと最初は考えていましたが、そんな場合ではなくなり、そのまま家に帰りました。


家に帰ったらすぐに横になりましたが、頭痛と息苦しさは良くなりませんでした。また、少しですが腹痛も続いていました。


最近は頭痛も息苦しさもほとんど治まりつつあったので、久々に苦しい思いをしてしまいました。


やがて、横になっているうちにいつの間にか眠ってしまい、目が覚めたときには少し体調が良くなっていました。
それからは、普通に夕飯も食べることが出来ましたし、睡眠導入剤は服みましたが、寝る前の頭痛や息苦しさもなく眠れたといった具合で、体調は安定していきました。


実は、日曜日の朝、起き抜けに頭痛が起きていました。会社に行けるかどうか、考えもしました。
それでも働けないほどの体調ではなかったので、会社に行きました。
また、仕事中も時々頭痛はありましたが、どれも軽いものでした。


しかし、考えてみると、それが月曜日の体調不良の最初のサインだったのかも知れません。
また、自分のなかで「気圧の乱れによる体調不良は、天気が一番悪いときに起こる」という思い込みもあったので、台風が最も近づいた日曜日の夜になんともなかったことで安心してしまったのだと思います。
台風一過の後の体調不良というのは、全く予想外でした。


月曜日に仕事が休みだったのはせめてもの幸いでしたが、いま心配なのは、そんな勢力の強い台風がまた今週末に日本へ近づいてくることです。
正直、自分の力でどうにか出来る部分と出来ない部分がありますが、それでも用心はしたいです。


私は、神経症の診断を受ける前は、そうした気圧の乱れによる体調不良は全くありませんでした。
また、これまでにも雨の日に頭痛が起きることはありましたが、やはり今回ほど激しい雨風ではありませんでした。


そのため、はじめに書いたように、神経症の診断を受けてから初めて経験した台風であり、正直大変でした。


とりあえず、来週の月曜日は朝から布団のなかで自分の体調の様子を見てみようと思います。


では、また。

 

「海程」の句会で嬉しかったこと


こんばんは。


今日は「海程」の句会へ、大宮まで行ってきました。


「海程」という結社や、句会がどのようかものかということについては、以下のブログ記事を読んでいただくと分かりやすいと思います。


http://ryjkmr.hatenablog.com/entry/2017/07/23/154550


今回も事前にハガキに句を書いて送ります。


私が送ったのは、次のような句でした。


またねって言われたきりの無月かな


説明すると、「無月」とは月が出ているのにも関わらず、それが雲に隠れて見えない夜のことで、秋の季語になっています。


実はハガキを出す直前、私は10日間ほど1句も詠めないという、言わば「プチスランプ状態」になっていました。
そうしたなかでハガキを出すしめ切りが近づいてきて、それまでに詠んだ句からせめて自分が納得出来た句を送りました。


そのため、この句がどのくらい得点を取れるのか、あまり自信がありませんでした。


しかし、集計の結果、8点をいただけました。これは、今回を含め3回句会に参加してきたなかで、一番多い得点でした。


前回の句会では3点しかもらえなかったので、そのことも含めて今回のこの最高得点はなおさら嬉しかったです。


句会では「合評」といって、6点以上を取った句を句会に参加した方それぞれで講評し合います。
私の


またねって言われたきりの無月かな


に寄せていただいた講評は次のようなものでした。


「またね、という軽い言葉が、無月という季語の持つ寂しさから却って引き立っている。」


「このまたね、という言葉には、2つの受け取り方があると思う。
1つは、仲の良い人から言われて、また会えるのがいつか考える、楽しさと寂しさが合わさった気持ち。
2つ目は、自分が本当に大切に想っている人から言われて、いつ会えるのだろうと考える、1つ目より切実な気持ち。
だから、恋の句としても読めると思う」


「この句は死を詠んだ句だと思う。つまり、またね、と言った側はそう言ったのにも関わらず死んでしまった。無月という季語が、よりその死の悲しみを感じさせる」


「23歳という、年相応らしい感じがする」


こうしたように、皆さん概ね好意的に受け取ってくださいました。
また、いやらしい言い方ですが、「またね」という軽い言葉が「無月」という季語によって却って引き立つという作者としての「狙い」が、広く伝わってくれたことも良かったです。


ちなみに、今日の句会全体の最高得点は12点でした。
せっかく8点まで取れたので、次回の句会では10点を目指そうと思います。


ただ、特選・秀逸・佳作と分かれている金子兜太主宰の選には、どれにも入りませんでした。
自分のなかで最高得点を更新できたので、さらに金子主宰からの選に入れたら完璧だったのにと、少し悔しかったです。


ちなみに、その悔しかったということをある方に話すと
「そう簡単にはいかないよ〜(笑)」と言われてしまいました。
仰る通りです。俳句は楽しいですが、それと同じくらい難しいと感じました。


そして、今回の句会では、最高得点に加えてもう1つ嬉しかったことがありました。


これまでこのブログでも何回か書いてきましたが、金子主宰の引退に伴い『海程』は来年の秋で終刊になることが決まっています。
しかし、それを引き継ぐかたちで新しい俳誌が創刊されることが句会の冒頭で発表されたのです。


現在、金子主宰の近くで結社の中心的役割を果たされている御三方が、それぞれ代表・発行人・編集長に就くそうです。
また、俳誌の名前等、その他のことは年内を目標に決めるそうです。


このことが発表されたとき、会場から安堵の表情とともに拍手が沸き起こりました。
もちろん、その拍手のなかに私も加わりました。


これもブログに書いたことですが、私は今年の5月に『海程』の終刊を知り、慌てて7月から句会に参加し始めました。


そのため、終刊したあとに自分が俳句を詠む上でどのような道を辿ろうか、いつも考えていました。


なので、今回の新しい俳誌の創刊という報せは、これからの自分の俳句の道を示してくれたようで嬉しかったです。


来年の秋からは、その新しい結社の会員となり、新しい俳誌・新しい代表のもと、さらに俳句を頑張りたいです。


ちなみに、俳誌の名前がまだ決まっていないと書きましたが、
句会で発表されたとき、私はその話を聞きながら「海程、が海だったんだから、みずうみ、なんて良いんじゃないかなぁ」とのどかな(もしくはアホな)ことを考えていました(笑)


また、句会のあとの打ち上げでも、たくさん楽しい話が出来て良かったです。
私は句会の度に、句会に出した句を含めた10句から15句を一枚の紙にまとめ、それを打ち上げのときに皆さんへ渡しています。今回も、受け取っていただいた方から動詞の使い方や、文語の文法等、様々なアドバイスをいただけました。

 

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というワケで、最高得点が取れて、新しい俳誌の創刊も知れてという、嬉しいことが続いた今日の句会でした。


ちなみに、そんな嬉しいことが続いた帰り際、さらに嬉しいことがありました。

 

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現在の『海程』の編集担当を務めている堀之内長一さんから、豆かんを買っていただきました。
とても美味しかったです。ごちそうさまでした。


今夜は気持ちよく眠れそうです。


おやすみなさい〜

 

心の線引き

 

こんばんは

 

そして、お久しぶりです。

 

9月の終わりに「固定のアルバイトが決まりました!」という記事を更新しましたが、

そのあと10月から働き始めて忙しくなり、ブログを書く時間がありませんでした。

 

今日は、最近特に考えていることについて書いてみようと思います。

 

10月4日に埼玉医科大学病院へ診察に行ってきました。

9月の間は比較的体調が良かったので、前回の診察(9月上旬)で処方された抗不安剤睡眠導入剤の2種類の薬(ともに4週間分)が、診察の日には半分くらい余っていました。

 

そのことを話すと、医師から「じゃあ薬の量を減らしてみましょうか」と仰っていただき、どちらの薬もいままでの4週間分から2週間分に減らしていただきました。

前回の診察で、医師から減薬が認められていたので、今回の診察はそれが具体的なかたちとして表れたようで嬉しかったです。

 

ただ、そのときは嬉しかったのですが、その後はじめての仕事やプライベートなことで少しずつ不安感が増えていきました。

そして、それに比例してその2種類の薬を服む量が増えて(というより、元通りになって)いきました。

 

次回の診察は11月1日にあるのですが、その2週間前にあたる先日、それまで余っていた2種類の薬が服み終わり、今回の診察で処方された薬に移りました。

このまま服み続ければ、さらにこれから2週間経てばどちらの薬も手元に無くなります。だから、次回の診察ではやはりどちらの薬も4週間分処方されることになるでしょう。

 

つまり、9月上旬の診察で医師から「減薬しても良い」と仰っていただき、現に9月は薬を服まずにいられたときもあったのですが、

10月になり、また処方された量の薬をすべて服むようになりました。

 

9月に診察を受けたばかりのときは、減薬することを自分のなかで割と簡単に考えていたのですが、現実にそれを実行することは難しいというのがいまの正直な思いです。

 

ただ、10月1日にアルバイトを始めてから、決まった時間に出勤して、仕事も出来ているということは自分にとって糧となっています。

 

先ほど、「仕事の不安感」といったことを書きましたが、だからと言ってそれが上司への不信感等にはつながっていません。

 

と言うのも、開き直った言い方かも知れませんが、自分のなかの不安感や焦燥感の理由を「神経症のため」と決めてしまっているからです。

こうすることで、私の場合、「病気の自分」と「素の自分」を分けて考えることが出来ます。だから、有益な方法だと考えています。

 

神経症に限らず、心の病は「病気になっている部分」と「それを感じ取る部分」とが隣り合わせになっているということが大きな特徴だと思います。

言い換えれば、ひとつの心のなかに病気になった心とそれについて色々なことを感じる心とが一緒に存在しているのです。

 

例えば、病気ではありませんがケガをしてしまい、手や足の骨を折ったとします。

当然、物を持ちづらかったり、歩きづらかったりします。

しかし、その一方で「自分は手を骨折したから物を持ちづらいんだ」「自分は足を骨折したから歩きづらいんだ」と客観的に考える自分がいます。

 

神経症等の心の病が難しいのはこの「自分の病気を客観的に考える」ことだと思います。

繰り返すように、ひとつの心のなかに病気になった心とそれについて色々なことを感じる心とが一緒に存在しているので、その線引きが難しいのです。

 

例えば、これはうつ病の患者に多く見られるそうですが、自分のうつ病を「甘え」と認識して、生活のなかで既にボロボロの心に負担を掛け続けてしまう人もいるそうです。

 

私にもそうした時期がありました。いや、いまも続いていると言えるかも知れません。

まだ仕事をはじめたばかりということもありますが、仕事中に上司からミスを軽く注意されることがあります。本来であれば、そのミスを直せばそれで済みます。

しかし、その注意された一言から不安感や焦燥感が広がり、自分や、その上司のことを責めたり、さらに自分の周りの人たちまで責めたりしそうになります。

 

そうしたときは、繰り返すようになりますが、「この気持ちは病気がさせているものなんだ」と線引きをするようにしています。

それにより、「いま行うべきは自分や他人を責めることではなく、ミスの原因と解決策を考えること」というあるべき発想に行き着きます。

 

そのほうが、自分にとっても、また相手にとっても良いはずです。

そのためにも、改めて自分の心の線引きは有益だと考えます。

 

ただ、この心の線引きには注意が必要だと思います。

この心の線引きは、自分が病気かそうでないかの線引きであり、出来ることと出来ないことの線引きとは少し違うからです。
出来ることと出来ないことで線引きをしてしまうと、出来ないことに分類してしまうことが増えてしまうかも知れません。

例えば、先ほどの自分の仕事のミスを注意されたときも、「自分は神経症だから何も出来ないんだ」と考えてしまい、もう既に医師から働いても大丈夫と言われているのにも関わらず、家に篭ったような生活を正当化することになってしまうかも知れません。

 

私は、神経症と診断されても、自分のなかで出来ることは何か考えていきたいです。

 

・・・と、こうしてつらつらと書いていると、なんだか自分がとっくに神経症寛解したように感じますが、

これは今日の仕事が終わり、夕飯を食べ終え一息ついたから書けていることなのだと思います。

実際は、そうした線引きをすることで、どうにか考えを悪い方向に向かわせずに済んでいる、と書いたほうが的確でしょう(笑)

 

一時は簡単に出来ると考えていた減薬がそうではなかったことも含めて、つくづく神経症とは一進一退の病気だと思います。

 

でも、先ほど書いた「自分のなかで出来ることは何か考えていきたい」という気持ちに嘘はありません。

 

これからも、自分の体調と相談しながら、仕事も、それ以外の生活も有意義に送っていきたいです。

 

・・・時計の針が午前1時を過ぎたので、そろそろ寝ようと思います。

 

たこれから、元々のペースでブログを更新していきたいです。

 

では、おやすみなさい

 

 

固定のアルバイトが決まりました!


こんにちは


今日はこのブログを読んでくださっている皆さんにお伝えしたいことがあります。


9月のはじめからアルバイトを探し始めていましたが、この度、固定のアルバイトが決まりました!(*^▽^*)


出社日は10月1日からです。仕事内容は、運輸会社の事務職です。前職も事務職だったので、その経験が少しでも活かせれば良いと思います。また勤務地が家から10分、15分と近いことも良かったです。
そして、そうした細かい内容以上に、固定のアルバイト自体が見つかったということがとても嬉しいです。


以前、ブログで「派遣の仕事をこなしていくことが自分にとって一番ストレスを感じなくて済む方法」と書きましたが、あれから色んな仕事場をまわるうちに、思った以上に派遣の仕事がストレスを感じると気づきました。


仕事を紹介してくれた人材派遣会社の方たちは皆さん良い人でしたし、感謝しています。

しかし、「派遣切り」といった言葉もあるように、結局はその仕事場で人が足りないときの穴埋めに過ぎず、こき使われる立場だということを肌で感じました。


前回のブログで、「最近また抗不安剤を服むようになったが、睡眠導入剤は服まずに済んでいる」といったことを書きましたが、
実はそうしたストレスもあってか、それから睡眠導入剤も服むようになってしまいました。


だから、固定のアルバイト、言い換えれば安定したアルバイトに就けたことで、そうした自分の体調を整えていけたら良いとも考えています。


ちなみに、9月に仕事を探し始めてから、私は全ての履歴書に「神経症の診断を受け、自宅療養していた時期があります。(現在は快方に向かっております)」と書いてきました。


応募したアルバイトのなかには、必要書類として履歴書の他にハローワークからの紹介状が必要なところもありました。
それを取りに行くため、近くのハローワークに行ったとき、履歴書にそのことを書くべきかどうか相談もしました。


職員からの答えは、少し長くなってしまいますが、次のようなものでした。
「まず、事実として精神疾患を持っている方の就業は難しい部分がある。
あなたは障害者手帳は取得していないけど、履歴書に自分の病気を書くこと自体が、就業から遠ざかる可能性もある。
だから、自分の病気を隠して求人に応募する人もなかにはいる。
ただ、そのあと病気を隠して仕事ができるか、病気を隠せずにつらくなってしまうかはその人次第。
だから、履歴書に自分の病気のことを書くか書かないかは、最終的にはその人が決めることです。」


決して突き放すような言い方ではなく、私の疑問を汲み取った上でそうしたことを言ってくれたことは伝わりました。


それでも、やはり私は履歴書に自分の病気を書くべきか悩みました。


そして、結論として、先ほど書いたように履歴書にそうした病気について書くことを決めました。
その理由として、神経症の診断を受けてから1ヶ月もしないときに始めてしまったスーパーでのアルバイトへの反省がありました。


スーパーでのアルバイトを始めるにあたって、医師に相談しなかったことは以前にもこのブログで書きましたが、実は、履歴書や面接でも自分が神経症であるということを伏せていました。
その結果、当然といえば当然ですが大きなストレスを感じ、わずか1週間ほどで退職することになってしまいました。


いま振り返って、当時の私は神経症を甘く見ていたと思います。


そうしたこともあり、「今度は自分の神経症について正直に話そう」と決めました。何より、正直に話した方が、例え採用してもらえなかったとしても自分のなかで納得出来るだろうと考えました。


実際、スーパーのアルバイトが決まるまでは5件ほど応募しましたが、今回のアルバイトが決まるまでは倍の10件ほど応募しました。


また、自分が納得出来るためにした判断とは言え、不採用の通知が来ると「履歴書に病気のことを書いたからだろうか・・・」という思いも頭をかすめました。


それだけに、自分が神経症であるということを踏まえて会社からもらえた今回の採用通知は、スーパーのアルバイトのときの採用通知より嬉しかったです。


自分の体調のこととか、人間関係が上手くいくだろうかとか、仕事を覚えられるだろうかとかといった不安もありますが、とりあえずは頑張ってみようと思います。


そして、5月中旬に療養が始まってから今回のアルバイトが決まるまで、私のことを気にかけていただいたブログやTwitterの皆さんに感謝します。


ありがとうございました!