今夜は眠れるかな

木村リュウジのブログ。神経症患者としてでなく、ひとりの人間としての日々の思い 。Twitter→(https://mobile.twitter.com/ryjkmr)

最近の体調について

 

おはようございます

 

最近の体調について、いくつか書き留めておきたいと思います。

 

まず不眠ですが、最近は収まっています。特に昨日は睡眠薬を服まずに眠ることが出来たので、良かったです。

 

ただ、翌朝の目覚めについては、少し差があります。どういう差かというと、お風呂に入ったときと入ってないときの差です。

 

自分でも良くないと思うのですが、たまに疲れてお風呂に入らないまま眠ってしまうことがあります。

 

そうすると、翌朝目覚めたときに体がだるく、また節々が痛く感じるのです。


朝食を取らなくてはいけないのですが、正直それも億劫なくらいです。

 

たぶん、健康な頃はお風呂に入らなくても寝るだけでその日の疲れがリセットされていたんでしょうが、
神経症の診断を受け、体力が低下してしまい、ちゃんとお風呂に入って体をほぐさないと疲れが取れなくなっているんだと思います。

 

これからは疲れていても、ちゃんとお風呂に入ろうと思います・・・

 

あと気になっているのが、頭痛と息苦しさが復活してきたことです。


それも、以前は決まって夜に寝る前に起こっていたのですが、最近は不定期に起こるようになってきています。

 

それでも、どちらかと言えば午前中からお昼くらいまでに多くなっている気がします。

 

さっき書いたように、ちゃんとお風呂に入って寝れば起こらない翌朝のだるさや節々の痛みとは別に、
この頭痛と息苦しさは起こってしまいます。

 

朝起きて朝食を食べて、抗不安剤も服むのですが、やはりそうした体調不良と気分の落ち込みが続き、また布団に戻ってしまうといった感じです。

 

実はいまもそんな感じで、布団に横になりながらスマホでブログを書いてます・・・ ( ̄▽ ̄;)

 

ただ寝ているだけだと、それはそれでなんだかむなしい気もするので・・・

 

というワケで整理すると、最近の体調は

 

・不眠は殆ど収まった
・前の日にお風呂に入らないと、翌朝起きたとき体のだるさと節々の痛みが起こる
・頭痛と息苦しさが復活してきた(特に午前中に多い)

 

といった感じです。

 

あと、これは神経症とは関係ありませんが、なんだか最近やたらと目がかゆいです。おかげで目薬のお世話になりっぱなしです。

 

花粉の季節でもないと思うのですが・・・どうしてだろう・・・

 

ともあれ、もう少し休養が必要かなと感じています。

 

まぁ、焦らないように少しずつ体調を整えていきたいです。

 

今日は朝から雨が降ってますね・・・憂鬱です・・・

 

ではまた〜

 

 

 

運転免許を持っていないということ

 

こんばんは

いま、私の家の部屋の窓には、大粒の雨が打ちつけています。

それに関連して思うことを、なんとなく書いてみようと思います。

私は、自動車の運転免許を持っていません。また、当分取れる見込みも立っていません。

もともと、学生時代から教習所に通い、教習所は卒業したのですが、そのときから就活が忙しくなった等の理由が重なり、なかなか本免の試験を受験出来ない日々が続きました。

そして、会社に入社する少し前に、ようやく受験に行ったのですが、やはり教習所を卒業してから時間が経っていたこともあり、あと2、3問足りないところで不合格になってしまいました。

その後、5月の半ばにも行きましたが、やはりあと少しのところで合格出来ませんでした。

そして、この頃から自律神経障害の兆候が起こり始め、体調的にも、精神的にも不安定な日々が続きました。

さらに、5月の終わりには神経症の診断を受けました。
このとき処方された抗不安剤には、副作用として「自動車の運転などは避けてください」とはっきり書かれていました。

本来であれば、この時点で運転免許の勉強も諦めるべきだったのかも知れません。
実際に、勉強をしているときの不安や、当日の試験の緊張は、私にとって大きなストレスでした。

それでも「いまは乗れないけれど、せっかく教習所も卒業したし、いつかまた乗れるようになるために勉強は続けよう」と思いました。

しかし先日、教習所を卒業してから1年間という、受験出来る期限を過ぎてしまい、私は受験資格を失いました。
それは、ちょうど体調が悪い日が続いていた真っ最中でした。

「いつかまた乗れるようになるために」という思いをモチベーションに勉強を続けてきましたが、それが実を結ぶことは出来なかったワケです。
また、教習所に掛かった時間やお金も無駄になってしまいました。

非常にショックでした。また、過ぎたことを考えてもしょうがありませんが、就活で忙しかったとは言え、どうしてすぐに受験しなかったんだろうという思いも強かったです。

また、就活も免許も、どうにか頑張ってきて、就活のほうは一度内定をもらえましたが、今となっては病気でどちらも手放してしまいました。そのことの悔しさも胸にこみ上げてきます。

私は免許を取りたい理由として、運転したいというよりは、どちらかと言えば保険証以外の身分証明書として持っておきたいと考えていました。

しかし、最初に書いたように、こうして部屋の窓に大粒の雨が打ちつける音を聞いていると、バスを利用したりとかも出来ますが、 「やっぱりこの先、車を運転出来ないことは不便だよなあ」と思います。

もし、また免許を取るとしたら、体調を整えることを大前提として、改めて教習所の入学金を貯めてから、一から講義を受け直すのが最も確実な方法です。
それをいつ始められるのか、また、今度はいつ免許が取れるのか、途方もなく遠く感じます。

また、これもまだ先の話ですが、まずアルバイトを経て、ゆくゆくは正社員としてもう一度働きたいと思っています。そして、そのときの就活までにまた免許が取れるのか、取れていなかったら、採用にどのように響くのかということも、不安としてあります。

ちなみに、いま、免許の代わりに身分証明書として考えているのは、顔写真付きのマイナンバーカードの発行です。

免許を持っていないことは、自分のなかで正直かなりのコンプレックスであり、打ち明けたくない思いもあったのですが、
先日の受験資格の失効でふっ切れてしまい、ブログに書いてしまおうと思いました。

勝手なものですが、いままで好きだった雨の音も、これからは聞くたびに気持ちがふさぎ込んでしまいそうです。

まぁ、なんとか明るいほうに考えを向けられるようにしたいです。

 

おやすみなさい

 

偶然見つけたブログから

こんばんは。

 

最初に断っておきますが、前回のブログとは180度違うことを書きます。

つまり、まだ体調は完全に整っていないけれど、医師から「働いても大丈夫」と仰っていただいて嬉しかったこととは、真逆の内容です。

 

友人のツイッターを見ていたら、とあるブログ記事にたどり着きました。まずはその記事を読んでいただいたほうが良いかも知れません。

 

http://aniram-czech.hatenablog.com/entry/2017/08/10/220000

 

・・・この記事で触れられている、「これから樹海に行きます」という記事を最後に更新されなくなったブログそのものを、自分は実際に見つけることは出来ませんでした。

 

このブログについて、記事のなかでは

「想像力には限界がある。想像力の向こう側へは行けない。だから、まだ知らないことを悔しいと思う。すでに知っていることを尊いと思う。」

と結論づけられています。

 

しかし、自分はそうは思いませんでした。

 

勤めていた会社を退職し、手元に残った貯金額をもとに生活し、それが無くなったら「これから樹海に行きます」と言い残して、死ぬ。

 

彼がたどったそうした道筋を、私は正直「羨ましい」と思いました。

 

私のブログで何度も書いているように、新卒で入った会社を、働きはじめて間も無く自律神経障害の診断を受けて休職、その後神経症の診断を受けて退職しました。

そのとき、手元にあった貯金額はあまり多くありませんでした。

 

なので、私はいつまた働けるようになるのか不安でした。

 

しかし、彼のたどった道筋を知って、「もし自分に充分な貯金額があったら、同じことをしていただろうな」と思いました。

 

私にも「死」に対する恐怖はあります。ただ、それは「死ぬことへの恐怖」ではなく、「自殺の痛みの恐怖」、あるいは「死ねずに障害が残ることへの恐怖」のほうがどちらかというと強いです。

 

彼が結局樹海に行ったのか、また樹海で自殺に成功したのかどうかは分かりません。

 

そのことについても、記事のなかでは

「そのブログが悪趣味な嘘であったらどんなにいいかと思った。もしくは、『樹海に行きます』のエントリを更新した後、気が変わって『やっぱやーめた』ってなっていたら、とか。」

と書かれていましたが、私はそういう風にも思えませんでした。

 

彼がブログを書きはじめた最初のうちにあった「死ぬのが怖い」という思いを、自分のなかで段々と克服し、毎日の様子を丁寧に書いて、そして「最後の晩餐」として、ファミレスのハンバーグを食べる。

 

・・・上手く言えないけれど、私は彼のそうした道筋を信じたいのです。

こうしたブログを書いた先にあったものが「悪趣味な嘘」で、それまでの日々がすべてひっくり返ってしまったら、こんなにむなしいことは無いと思うのです。

 

「自殺はいけないこと」というのは、特に遺族の悲しみを考えれば真っ当な考えなのでしょう。

 

しかし、それを踏まえて尚、私は「彼は自分の思い描いた死の設計図通りに死んでいった。その方法が例え自殺ではあったにしろ、彼は正しく死んでいった」と思うのです。

 

以前、ある死刑囚の獄中手記を読んでいたときのことですが、その人がある日の手記で自分の49歳の誕生日について触れていました。

その人は20代の半ばで逮捕されたので、当時すでに20年以上獄中にいました。

 

そうした状況を、その人は「考えようによっては、同世代の諸氏が背負っているしがらみとは無縁に生きているわけですから、恵まれている(!)のかもしれません。」と書いていました。

 

この手記の言葉をどのように感じるかは人それぞれでしょうが、私は自殺した彼の存在を知ったとき、ふと、この言葉を思い出しました。

 

同じ「死」でも、自殺と死刑とではその背景は大きく違います。

それでも、その死刑囚が抱いた「恵まれている」という思いは、自殺した彼のどこかにもあったんじゃないかと思うのです。

さらに言えば、獄中にいるわけでもなく、自由な生活が出来る彼にとって、そうした思いはより強いものだったのではないでしょうか。

 

彼が勤めていた会社を退職した理由は分かりません。

ただ、どのような理由にしろ「同世代の諸氏が背負っているしがらみとは無縁」になりたかったんだろうな、と思います。

だからもう二度と「社会」には戻ってこなかったんでしょう。

 

この間、大学を卒業してからあまり連絡を取っていなかった友人と、久しぶりにLINEで話しました。

友人は、しきりに

「残業続きできつい」

「帰っても飯食って風呂入って寝るだけになってる
プライベートな時間が欲しいわマジで」

と話していました。

 

私は、その言葉を聞いたとき、「私と彼のどちらが幸せなんだろう?」と考えてしまいました。

私には、医師から「働いても大丈夫」と仰っていただいたとは言え、まだ体調を整える時間が必要ですし、そもそも仕事そのものは見つかっていません。

しかし、その代わりではありませんが、プライベートな時間はあります。

本を読んだり、音楽を聴いたりする時間はあります。

 

友人からその言葉を聞いたとき、医師からの判断を聞いた直後に感じた手放しの希望に、少し影が差しました。

 

それでも、私には特別な才能もありませんから、また地道に働くしかないのでしょう。

そして、そのなかで楽しいことを見つけて、どうにかやっていくしかないのでしょう。

 

しかし、これは神経症と診断される前からずっと思っていたことなのですが、

もし宝くじで2億円や3億円が当たったら、まず私は会社に辞表を提出すると思います。

 

そのあとは、特別な贅沢をせず、少しずつそのお金を使っていきたいです。

そして、例えばそうした暮らしのなかで食べるファミレスのハンバーグは「とても美味しいだろうな」と感じます。

医師から「働いても大丈夫」と仰っていただきました

 

こんにちは。

 

今日は午後から、埼玉医科大学病院へ診察に行ってきました。

 

そして、今回の診察では、最近の神経症の状態の他、心理検査の結果に重点を置いてお話を聞いてきました。

 

心理検査とは、簡単に言えば、発達障害の有無を測る検査です。

神経症の治療のために心療内科にかかるのだから、合わせてそうした検査も受けたほうが良い」という周りからのアドバイスと、私自身の意志で行うことになりました。

6月の終わりと7月の終わりの2回に分けて、言葉の意味を答えたり、絵で描かれた図形の通りに、積み木を使って色や形を組み合わせたりといった検査を行いました。

 

さて、その結果ですが、おおよそ次のようになりました。

 

・言語性(他人の話を聞いたり、自分で物事を論理的に説明する能力) IQ120 (高い)

・動作性(他人から言われたことを、指示通りに行う能力)IQ 76 (低い)

・全検査(全体を通しての数値)IQ 106 (平均的)

 

つまり、「言語性と動作性に開きがある。他人から言われたことの意味は分かるけど、それをすぐ行動に移したり、あるいは臨機応変に対応するのが苦手」という頭のつくりをしているそうです。

 

医師からも、「ここまで開きがある人はちょっと見たことない・・・」と言われてしまいました (^_^;)

 

そして、これらの検査を踏まえた結果は「発達障害の傾向はあるが、特に病名をつけるほどではない」というものでした。

 

また、そうした心理検査の結果と、現在の神経症の状態とを踏まえ「就労支援施設に行く必要は無く、一般の企業で働けるレベル」と仰っていただけました!

 

ただ、医師からは「神経症のひとは、周囲の人間関係や、周りの人の理解が得られる環境がとても大事になってくるので、それが見つかるまでは時間がかかるかも知れない」と言われました。
「確かにそうだよなあ」と思いました。そもそも私が神経症を発症したのも元の会社での人間関係が原因なので、そこは慎重に、焦らず考えてゆきたいです。

また、医師からは「技術職とかが向いていると思います。反対に、接客業はおすすめ出来ない」とも言われました。これも参考にしようと思います。

 

それから、今日の最初のブログで書いた希死念慮が起こってしまうことについても相談してみました。
医師の判断は「話を聞く限りでは、そこまで慢性的なものではないと思う。それに既に1日3回抗不安剤を出しているので、しばらく様子をみましょう」とのことでした。

 

このように、いまも体調は万全ではないので、まずは仕事を探すより体調を整えることを最優先にしたいと思っています。

 

それでも、心理検査の結果と合わせて、医師から「働いても大丈夫」と仰っていただいたことは、とても嬉しかったです。

 

教えていただいた方には感謝していますが、この前のブログで私が「検討している」と言った自立支援医療や傷害手当の件は、ひとまず使わないで済みそうです。

 

今日はなんだか、自分の階段を一段登れた気がします。今夜は眠れるかな、というより、今夜は良い夢見られるかな、といった気分です(笑)

 

おやすみなさい!

 

俳句雑感

 

こんにちは

 

Twitterの俳句アカウントについて、最近思うことがあります。

 

それは、非常にせわしなさを感じているということ。


私もフォローしていますが、毎朝5時に何かしらの季語を発表してくれるアカウントがあります。そして、皆その季語をもとに俳句を詠んでいるという状況です。

 

そうすると、何というか、その季語の発表をスタートに、誰がどのくらい早く詠めたか、何句くらい詠めたかといった競争するような雰囲気になってしまっているのです。
恐らく本人たちにそのつもりはないのでしょうが・・・。


私も取り立てて俳句が上手いワケではありませんので、いまここで誰かの詠んだ句について意見を述べようというつもりはありません。

しかし、一つだけショックだった出来事がありました。

 

その日の季語は「生ビール」でした。元々「ビール」は夏の季語になっていて、それに関連する季語として「生ビール」が発表されたのです。

そのなかの一つに、どなたが詠まれたのかは忘れましたが、こんな句がありました。

 

生ビール五臓六腑に沁み渡る

 

私も俳句について詳しいワケではありませんが、この句を読んだとき、あまりにも俳句と呼ぶには単調な気がしたのです。
さらに言えば「この人には自分にとって俳句とは何かとか、そういったものがあるんだろうか?」と、つい訝ってしまいました。

 

もちろん、素晴らしい句も沢山あります。しかし、こうした句が朝5時から競うように詠まれているのを見ると、どうしても「質より量」という言葉が浮かんでしまいます。

 

私の場合、大体朝起きてその日の季語を知ってから、夜中の9時くらいまで考えて、1句か2句を投句します。
まだ俳句を詠みはじめて7ヶ月という初心者であり、句作に不慣れだからという理由もありますが、それ以上にその季語から自分が連想するイメージを時間をかけて作り上げていきたいからという理由が強いです。

 

私の好きな俳人の一人に攝津幸彦(1947〜1996)という人がいるんですが、彼は広告会社に務めながら俳人をしていました。
そのため、句作は休日の土日に集中します。まず土曜日に俳句のイメージを膨らませて、日曜日にそれを何十句と原稿用紙に書いていったそうです。
そして、その原稿を3ヶ月ほど推敲させ、句集に載せる俳句としてまとめたそうです。

 

私はこうした攝津の作句方法を知ったとき、非常に自分の俳句と丁寧に向き合っている気がしました。また、それと同時にその姿勢に憧れました。

 

TwitterというSNSを俳句発表の場としていると、その流動性の激しさから、どうしてもそうした丁寧な向き合い方は難しくなります。それは、たとえ夜9時までねばったうえで投句をしていても思うことです。

 

この間、「海程」の句会に初めて行ったときの興奮がまだ残っているのかも知れませんが、
最近の私はTwitterで句を毎日発表するより、月に一度の句会でその月の「渾身の一句」とでもいうべきものを発表したほうが、俳句を詠むうえでハリがあると思えて仕方ないのです。

 

句会の前の練習として、Twitterを使うという方法もあるでしょうが、
やはり私にはあの毎朝5時から始まるせわしなさに馴染めません・・・。

 

そんな感じで、私が最近悩んでる俳句についてのお話でした。

 

そして、同じ「ビール」の季語で、自分がどんな句を詠んだのか教えないということはやはり不公平なので、最後に書き留めておきます。

 

毒呷る勇気も無くてビール呑む

 

では、また。

 

夏まで生きていようと思った

 

おはようございます。

 

昨日、8月8日は私の23歳の誕生日でした。

この日のTwitterに、私は朝早くこんなことをツイートしました。

 

「今日で23歳になりました。家族や友人、恋人といった自分の病気を支えてくれている人に、改めて感謝したいです m(_ _)m」

 

この言葉にウソはありません。「私には支えてくれる人がいる」ということは、特に意識しています。

 

最近、また夜中の頭痛と息苦しさが起こるようになりました。
荒い息を立てているとき、私は自分の手を後ろに回して背中を撫でているしかありません。
そうしたとき、スゴくさびしい気分になります。


家族も寝ているし、友だちに連絡出来るような時間でもありません。
ひとりじゃないのは分かってるけど、どうしてもさびしくなるのです。

 

でもだからこそ、そうした孤独感に苛まれていないときは、繰り返すように自分の病気を支えてくれる人がいることを意識したいと思っています。

 

実際に誕生日には、彼女や友人といった何人もの人から「おめでとう」と言ってもらえました。

特に、大学を卒業後、実家がある新潟に帰ってしまい、他の友人と比べて会う機会がどうしても取りづらかった友人からそうした言葉をもらえたのは意外でしたし、嬉しかったです。


また、そうした人たちのなかには、「おめでとう」に加え、私の体調を気遣う言葉を掛けてくれる人もいました。ありがたいことです。

 

・・・ただ、ここからの話は暗いものになってしまうのですが、
その誕生日を終えて、私のなかでひとつの「この日までは生きよう」というモチベーションが無くなりつつあることも確かです。

 

正直に告白すれば、私は神経症の診断を受けてから、幾度か希死念慮に見舞われたことがあります。


よく希死念慮と自殺願望は似ているもののように言われますが、細かく言えば違うものです。
自殺願望はその人に耐えられないような悩みや苦しみがある、言い換えればハッキリとした理由があり死を願うものです。
希死念慮はそうではなく、むなしさを強く感じ、ハッキリとした理由はないけれど死を願うものです。


芥川龍之介の遺書に、その自殺の動機として「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」と書かれていたことは知られていますが、これはまさしく希死念慮と呼べるものでしょう。

 

希死念慮が起こると、ベッドに座って窓からの景色を見ても、眼に映るものすべてが灰色に見えて、なんとなく「このまま死んじゃっても良いかなあ・・・」と思うようになります。

 

私は、いままで診断を受けてから、そうした希死念慮が起こる度に、「夏まで生きていよう」と思い、踏み留まってきました。

 

その大きな理由の1つとして、前回のブログで話した彼女との交際1周年の記念日が8月の頭にあること。
もう1つとして、繰り返すように自分の誕生日があること。

 

しかし、それが2つとも過ぎてしまったいま、糸の切れた人形のように私は無気力になりつつあります。

 

芥川に続き自殺した文豪の名を出すことは不吉だとも思いながら、太宰治の『葉』という短編について話します。


太宰は1948年に自殺していますが、それまでに何回か自殺未遂を起こしています。
『葉』が収録された短編集『晩年』が出版されたのは1936年ですが、その前後、1935年と1937年にもそれぞれ自殺未遂を起こしており、やはり精神的に不安定だったことが分かります。

 

そして、『葉』の有名な一節にこんな文章があります。

 

「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。」

 

太宰はこのようにして、「夏まで生きていようと」思うのですが、結果として、繰り返すように翌1937年に自殺未遂を起こし、1948年には遂に亡くなってしまいます。

 

このような太宰の辿った道筋、また、芥川の述べた「ぼんやりした不安」は、私にほのかな不安を抱かせます。

 

そして、そんな不安を抱かないために、いまの私が出来ることはなんだろう、と考えます。

 

まずは、ちょうど今日の午後にある心療内科の診察で希死念慮について話すこと。


あとは、8月中旬に俳句結社「海程」の方から誘われている吟行(実際に公園等を散策して、眼で見た景色から俳句を詠むこと)にも行ってみようと思います。


それから、9月にある「海程」の句会に参加してみようとも思います。

 

そういう風に、少しずつ自分のやりたいことを増やしていき、不安を少なくさせることが大事なんだと思います。

 

来年の夏も、生きていようと思います。

 

彼女のこと

 

こんばんは

 

私には、去年の8月から付き合いはじめて、この間1周年を迎えたばかりの彼女がいます。

 

実は、私が神経症になった遠因のひとつに、彼女への劣等感があります。

最初に断っておきますが、だからと言って彼女のことを責めるつもりは全くありません。

 

本人が嫌がるのであまり詳しくは書きませんが、彼女は私より何歳か年上です。また、彼女の仕事は自由業に近いです。

どこかの会社に勤めるのではなく、自分の家で仕事をするような感じです。

 

私たちが付き合い始めた頃、彼女のそうした仕事は、初めて世の中に認められようとしていました。

 

私は、内定が決まるのが周りより遅く、8月になってもまだ内定先が決まっていなかったのですが、

彼女の仕事ぶりを見て自分も就活を頑張ろうと想えていたし、なにより彼女の仕事を素直に応援することが出来ていました。

 

それからしばらく経ち、今年の冬に彼女の仕事はひとつの結果を出せました。

私も大学の卒業を間近に控え、この頃までには内定先も決まっていました。

 

そのときの私のなかには、「彼女が頑張ったように、自分もこれから頑張ろう」という想いだけがありました。

年上ということもあり、先に結果を出したからと言って、彼女への劣等感は微塵もありませんでした。

 

その想いが徐々に崩れていったのは、私が入社してからのことでした。

「自分が想像する仕事と、実際の仕事にはギャップがある」とは多く言われますし、私もそうだと思って3月の終わりに入社しました。

 

しかし、そのギャップは私が考えていたよりずっと大きいものでした。

 

まず、同期や上司との人間関係に馴染めませんでした。

それから、仕事も難しかったです。

 

また、毎朝5時半に起き、満員電車に揺られ、仕事場でギクシャクしながら、仕事を終え家に帰る・・・。

 

そうした会社での問題やいままでとは違った生活に、はじめは慣れようと努力してきました。でも、結果として私の心は段々とすり減っていきました。その後結局、自律神経障害を経て神経症の診断を受け、会社も退職しました。

 

そして、私のそうした精神面の不調と反比例するように、その冬にひとつの結果となった彼女の仕事は、段々と世の中に認められていきました。

 

もちろん、彼女がそうした結果を出すために、何年も努力したことは頭では分かっています。

決して手品師のように、ポンとひとつの仕事を完成させたワケではないのです。

 

ただ・・・そう思いながら、私のすり減っていく心のなかで、彼女の仕事への尊敬や憧れは、いつしか劣等感に変わっていました。それは私にとって苦しいものでした。

 

繰り返すように、彼女を責めるつもりは全くありません。

言い訳がましく聞こえてしまうかも知れませんが、私にとって苦しいのは、彼女という優れた才能の持ち主が隣にいることではなく、その才能を素直に認められないということです。

そして、それを自分の胸に抱くばかりか、直接彼女に「劣等感を抱いてしまう」と伝えてしまいました。

 

しかし、彼女は私のそうした言葉を聞いたあとも、私の病気を理解しようとしてくれました。彼女の提案で、仕事終わりに一緒にご飯を食べたこともあります。

もしこれが逆の立場だったらどうだろう、と考えてしまいます。

自分が努力の果てにつかんだ結果を、本来一番支えてほしいはずの存在から、病気とは言え「劣等感を感じてしまう」と言われてしまったら。

恐らく私は、彼女ほど支えることは出来なかったと思います。

 

しかし、そうした彼女のサポートも裏切るように、私の病気はどんどん悪くなっていきました。

私も、良くないとは頭で知りながら、彼女に対する劣等感をぶつけてしまうことが、それからも度々ありました。

 

そして、とうとうある日彼女からこう言われてしまいました。

 

「疲れた」。

 

それは、普段は控え目で、他人の影に立ちその人を支えるような性格の彼女が、堪らず口にした本音だったと思います。

 

私は、その言葉に対し、申し訳なさでいっぱいになりました。

 

そして、完全に別れるというワケではないけれど、連絡する回数を少なくすることを提案しました。向こうも受け入れてくれました。

 

いまは、そのようにして、私の体調や情緒が比較的安定しているときに連絡を取り合うようにしています。

 

・・・彼女と連絡を取らない夜、布団に入って天井を見上げていると、色々なことを考えてしまいます。

 

彼女が出した最初の大きな結果を、素直に認めることが出来ないことへの申し訳なさがあります。

あるいは、懸命なサポートの果て、彼女に「疲れた」と言わせてしまったことへの申し訳なさがあります。

 

また、正直に言えば不安定な身分である自由業の彼女が困ったときには、正社員という安定した身分を活かして自分が何かしようとも考えていました。

しかし、いまはそれも出来ません。そのことへの悔しさもあります。

 

・・・そして、「次に彼女が大きな結果を出せたとき、同じように劣等感を抱いたままなのか」という不安が一番大きいです。

 

そんな不安を抱いたとき、フッと「いま別れれば、お互いラクなのではないか」という思いがよぎります。

 

しかしその度に、「向こうが私も体調や精神面をサポートしてくれた挙句の果てに『別れる』ということは、逃げたことにしかならない」と想い直し、踏み留まっています。

 

いまは、少し離れているだけなんだ。

 

いまは、体を休めるのに必要な期間なんだ。

 

そう自分に言い聞かせています。

 

いつか、また仕事が出来るようになり、彼女に劣等感を抱かずに済む日が来るんだ。

 

そう信じています。

 

そして、その日が来たら、他人からエゴイズムと思われようがいままでの分いっぱいの「ありがとう」と「ごめんなさい」を彼女に伝えるつもりです。

 

いつかその日は来るはずです。

 

いつか・・・