今夜は眠れるかな

木村リュウジのブログ。神経症患者としてでなく、ひとりの人間としての日々の思い 。Twitter→(https://mobile.twitter.com/ryjkmr)

心の線引き

 

こんばんは

 

そして、お久しぶりです。

 

9月の終わりに「固定のアルバイトが決まりました!」という記事を更新しましたが、

そのあと10月から働き始めて忙しくなり、ブログを書く時間がありませんでした。

 

今日は、最近特に考えていることについて書いてみようと思います。

 

10月4日に埼玉医科大学病院へ診察に行ってきました。

9月の間は比較的体調が良かったので、前回の診察(9月上旬)で処方された抗不安剤睡眠導入剤の2種類の薬(ともに4週間分)が、診察の日には半分くらい余っていました。

 

そのことを話すと、医師から「じゃあ薬の量を減らしてみましょうか」と仰っていただき、どちらの薬もいままでの4週間分から2週間分に減らしていただきました。

前回の診察で、医師から減薬が認められていたので、今回の診察はそれが具体的なかたちとして表れたようで嬉しかったです。

 

ただ、そのときは嬉しかったのですが、その後はじめての仕事やプライベートなことで少しずつ不安感が増えていきました。

そして、それに比例してその2種類の薬を服む量が増えて(というより、元通りになって)いきました。

 

次回の診察は11月1日にあるのですが、その2週間前にあたる先日、それまで余っていた2種類の薬が服み終わり、今回の診察で処方された薬に移りました。

このまま服み続ければ、さらにこれから2週間経てばどちらの薬も手元に無くなります。だから、次回の診察ではやはりどちらの薬も4週間分処方されることになるでしょう。

 

つまり、9月上旬の診察で医師から「減薬しても良い」と仰っていただき、現に9月は薬を服まずにいられたときもあったのですが、

10月になり、また処方された量の薬をすべて服むようになりました。

 

9月に診察を受けたばかりのときは、減薬することを自分のなかで割と簡単に考えていたのですが、現実にそれを実行することは難しいというのがいまの正直な思いです。

 

ただ、10月1日にアルバイトを始めてから、決まった時間に出勤して、仕事も出来ているということは自分にとって糧となっています。

 

先ほど、「仕事の不安感」といったことを書きましたが、だからと言ってそれが上司への不信感等にはつながっていません。

 

と言うのも、開き直った言い方かも知れませんが、自分のなかの不安感や焦燥感の理由を「神経症のため」と決めてしまっているからです。

こうすることで、私の場合、「病気の自分」と「素の自分」を分けて考えることが出来ます。だから、有益な方法だと考えています。

 

神経症に限らず、心の病は「病気になっている部分」と「それを感じ取る部分」とが隣り合わせになっているということが大きな特徴だと思います。

言い換えれば、ひとつの心のなかに病気になった心とそれについて色々なことを感じる心とが一緒に存在しているのです。

 

例えば、病気ではありませんがケガをしてしまい、手や足の骨を折ったとします。

当然、物を持ちづらかったり、歩きづらかったりします。

しかし、その一方で「自分は手を骨折したから物を持ちづらいんだ」「自分は足を骨折したから歩きづらいんだ」と客観的に考える自分がいます。

 

神経症等の心の病が難しいのはこの「自分の病気を客観的に考える」ことだと思います。

繰り返すように、ひとつの心のなかに病気になった心とそれについて色々なことを感じる心とが一緒に存在しているので、その線引きが難しいのです。

 

例えば、これはうつ病の患者に多く見られるそうですが、自分のうつ病を「甘え」と認識して、生活のなかで既にボロボロの心に負担を掛け続けてしまう人もいるそうです。

 

私にもそうした時期がありました。いや、いまも続いていると言えるかも知れません。

まだ仕事をはじめたばかりということもありますが、仕事中に上司からミスを軽く注意されることがあります。本来であれば、そのミスを直せばそれで済みます。

しかし、その注意された一言から不安感や焦燥感が広がり、自分や、その上司のことを責めたり、さらに自分の周りの人たちまで責めたりしそうになります。

 

そうしたときは、繰り返すようになりますが、「この気持ちは病気がさせているものなんだ」と線引きをするようにしています。

それにより、「いま行うべきは自分や他人を責めることではなく、ミスの原因と解決策を考えること」というあるべき発想に行き着きます。

 

そのほうが、自分にとっても、また相手にとっても良いはずです。

そのためにも、改めて自分の心の線引きは有益だと考えます。

 

ただ、この心の線引きには注意が必要だと思います。

この心の線引きは、自分が病気かそうでないかの線引きであり、出来ることと出来ないことの線引きとは少し違うからです。
出来ることと出来ないことで線引きをしてしまうと、出来ないことに分類してしまうことが増えてしまうかも知れません。

例えば、先ほどの自分の仕事のミスを注意されたときも、「自分は神経症だから何も出来ないんだ」と考えてしまい、もう既に医師から働いても大丈夫と言われているのにも関わらず、家に篭ったような生活を正当化することになってしまうかも知れません。

 

私は、神経症と診断されても、自分のなかで出来ることは何か考えていきたいです。

 

・・・と、こうしてつらつらと書いていると、なんだか自分がとっくに神経症寛解したように感じますが、

これは今日の仕事が終わり、夕飯を食べ終え一息ついたから書けていることなのだと思います。

実際は、そうした線引きをすることで、どうにか考えを悪い方向に向かわせずに済んでいる、と書いたほうが的確でしょう(笑)

 

一時は簡単に出来ると考えていた減薬がそうではなかったことも含めて、つくづく神経症とは一進一退の病気だと思います。

 

でも、先ほど書いた「自分のなかで出来ることは何か考えていきたい」という気持ちに嘘はありません。

 

これからも、自分の体調と相談しながら、仕事も、それ以外の生活も有意義に送っていきたいです。

 

・・・時計の針が午前1時を過ぎたので、そろそろ寝ようと思います。

 

たこれから、元々のペースでブログを更新していきたいです。

 

では、おやすみなさい

 

 

固定のアルバイトが決まりました!


こんにちは


今日はこのブログを読んでくださっている皆さんにお伝えしたいことがあります。


9月のはじめからアルバイトを探し始めていましたが、この度、固定のアルバイトが決まりました!(*^▽^*)


出社日は10月1日からです。仕事内容は、運輸会社の事務職です。前職も事務職だったので、その経験が少しでも活かせれば良いと思います。また勤務地が家から10分、15分と近いことも良かったです。
そして、そうした細かい内容以上に、固定のアルバイト自体が見つかったということがとても嬉しいです。


以前、ブログで「派遣の仕事をこなしていくことが自分にとって一番ストレスを感じなくて済む方法」と書きましたが、あれから色んな仕事場をまわるうちに、思った以上に派遣の仕事がストレスを感じると気づきました。


仕事を紹介してくれた人材派遣会社の方たちは皆さん良い人でしたし、感謝しています。

しかし、「派遣切り」といった言葉もあるように、結局はその仕事場で人が足りないときの穴埋めに過ぎず、こき使われる立場だということを肌で感じました。


前回のブログで、「最近また抗不安剤を服むようになったが、睡眠導入剤は服まずに済んでいる」といったことを書きましたが、
実はそうしたストレスもあってか、それから睡眠導入剤も服むようになってしまいました。


だから、固定のアルバイト、言い換えれば安定したアルバイトに就けたことで、そうした自分の体調を整えていけたら良いとも考えています。


ちなみに、9月に仕事を探し始めてから、私は全ての履歴書に「神経症の診断を受け、自宅療養していた時期があります。(現在は快方に向かっております)」と書いてきました。


応募したアルバイトのなかには、必要書類として履歴書の他にハローワークからの紹介状が必要なところもありました。
それを取りに行くため、近くのハローワークに行ったとき、履歴書にそのことを書くべきかどうか相談もしました。


職員からの答えは、少し長くなってしまいますが、次のようなものでした。
「まず、事実として精神疾患を持っている方の就業は難しい部分がある。
あなたは障害者手帳は取得していないけど、履歴書に自分の病気を書くこと自体が、就業から遠ざかる可能性もある。
だから、自分の病気を隠して求人に応募する人もなかにはいる。
ただ、そのあと病気を隠して仕事ができるか、病気を隠せずにつらくなってしまうかはその人次第。
だから、履歴書に自分の病気のことを書くか書かないかは、最終的にはその人が決めることです。」


決して突き放すような言い方ではなく、私の疑問を汲み取った上でそうしたことを言ってくれたことは伝わりました。


それでも、やはり私は履歴書に自分の病気を書くべきか悩みました。


そして、結論として、先ほど書いたように履歴書にそうした病気について書くことを決めました。
その理由として、神経症の診断を受けてから1ヶ月もしないときに始めてしまったスーパーでのアルバイトへの反省がありました。


スーパーでのアルバイトを始めるにあたって、医師に相談しなかったことは以前にもこのブログで書きましたが、実は、履歴書や面接でも自分が神経症であるということを伏せていました。
その結果、当然といえば当然ですが大きなストレスを感じ、わずか1週間ほどで退職することになってしまいました。


いま振り返って、当時の私は神経症を甘く見ていたと思います。


そうしたこともあり、「今度は自分の神経症について正直に話そう」と決めました。何より、正直に話した方が、例え採用してもらえなかったとしても自分のなかで納得出来るだろうと考えました。


実際、スーパーのアルバイトが決まるまでは5件ほど応募しましたが、今回のアルバイトが決まるまでは倍の10件ほど応募しました。


また、自分が納得出来るためにした判断とは言え、不採用の通知が来ると「履歴書に病気のことを書いたからだろうか・・・」という思いも頭をかすめました。


それだけに、自分が神経症であるということを踏まえて会社からもらえた今回の採用通知は、スーパーのアルバイトのときの採用通知より嬉しかったです。


自分の体調のこととか、人間関係が上手くいくだろうかとか、仕事を覚えられるだろうかとかといった不安もありますが、とりあえずは頑張ってみようと思います。


そして、5月中旬に療養が始まってから今回のアルバイトが決まるまで、私のことを気にかけていただいたブログやTwitterの皆さんに感謝します。


ありがとうございました!

 

減薬のその後

 

こんにちは

 

今日は1日雨が降っていました・・・。

 

以前は気圧に健康状態が影響することは無かったのですが、神経症の診断を受けてから、雨の日になると大体ダルく、頭がボーッとしてしまいます。

 

先日、Twitterでフォローしているうつ病の男性が

「うつになってから急に気圧耐性がなくなった」

とツイートされていたので、もしかしたら気圧に健康が影響されるというのは、心の病に共通して起こることなのかも知れません。

 

そんなワケで、今日も朝からボーッとしていました・・・。

 

朝起きて、朝食を食べて、布団に潜り、昼食のそばを食べてまた布団に潜りました。

夕方に眼が覚めるとお腹が空いていたので、残っていたそばを食べ、ついでに何故か冷蔵庫にあったサイダーも飲みました。

 

それからは、なんとなく本をめくったり音楽を聞いたりしながらダラダラ過ごして、いま夕食を待ちながらこのブログを書いてます。

 

昼食と夕食の間に炭水化物を取る・・・。太りますね・・・( ̄▽ ̄;)

 

療養生活をしていて「良かった」と思えることは非常に少ないのですが、強いて挙げるなら体重が減ったことなので、これからもリバウンドはしないように気を付けたいです。

 

さて、そんな回らない頭で今回書きたいのは、薬についての話です。

 

今月のはじめの診察で、「減薬しても大丈夫」と医師から仰っていただきました。

 

それから何日かは抗不安剤睡眠導入剤も服まずに過ごしていたのですが、

先日、あることをきっかけに抗不安剤のほうをまた服みはじめるようになりました。

 

それは(恥ずかしい話ですが)、彼女との口論です。

詳しくは書きませんが、ある晩いつものように電話していたら、彼女が何気なく言った一言が私の胸に引っ掛かり、そこからどんどん気まずい雰囲気になりました。

 

結局、その晩はそんな雰囲気のまま電話を切ったのですが、翌朝からひどく情緒が不安定になりました。このブログを始めた7月上旬のむなしさが戻ってきたようでした。

 

その電話から1日置いて、改めて彼女と話し合って仲直りは出来ました。

だから、いまの私に彼女への不満はありません。

 

しかし、それとは別の、病気の問題としてその夜の電話が尾を引いている感じがします。

 

朝に抗不安剤を服んでも、昼くらいになるとその効き目が薄らいできて、自分のなかで不安感やイライラが起こってくるのが分かります。

そうしたことから、いまはまた1日3回抗不安剤を服んでいます。

 

そして、今回の件で、少しオーバーかも知れませんが、再発の怖さを感じました。

 

今月の最初に書いたブログ

http://ryjkmr.hatenablog.com/entry/2017/09/01/003927

のなかで、ミュージシャンの高橋幸宏の例を挙げて、神経症の再発に気を付けたいということを書きました。

 

しかし、いまこうしてまた抗不安剤を服む日々に戻ると、その再発の落とし穴のようなものが、思った以上に自分のそばに開いていることに気付きました。

 

彼女との電話で仲直りをして、自分も「また仲良く付き合っていこう」と思っているのに、

また体調が悪くなりつつある。

 

つくづく、神経症という病気の、心のバランスがもたらす体調への影響の大きさを感じました。

 

あとは、その彼女の件に加え、はじめたばかりの派遣の仕事のストレスもどこかで感じているのかも知れません。

昨日のブログで、「派遣の仕事をこなしていくことが自分にとって一番ストレスを感じなくて済む方法」だと書きましたが、それでもストレスはゼロではありませんから。

 

まぁ、ストレスがゼロの仕事というのは存在しないので、そこは自分の体調を見ながらバランスを取っていこうと思います。

 

というワケで、寛解に向けての階段を少し後ろに下がってしまった感じはありますが、

またゆっくり登っていきたいです。

 

いま、2階の自分の部屋でこのブログを書いていますが、階段の下から、夕食を準備する母親の包丁の音が聞こえます。

 

明日も仕事があるので、夕食を軽く食べたら早めにお風呂に入り寝ようと思います。

今日はなんだか寝ても寝ても寝足りないので、たぶんすぐ眠れると思います(笑)

 

睡眠導入剤のほうは「減薬しても大丈夫」と仰っていただいてから服んでいません。このままそうした日々を続けていきたいです。

 

では、また

 

最近のアルバイトの状況について

 

こんばんは


9月に入ってアルバイトを探しはじめてから、約2週間が過ぎました。


現在は、9月の初めに登録した人材派遣会社からの仕事をこなしている状況です。


今週の水曜日に初めての仕事、金曜日に2回目の仕事がありました。
内容としては、どちらも工場勤務です。
水曜日は棚に置くタイプの消臭剤の検品作業を、金曜日はレーンで運ばれてきた一枚の大きな豆腐を細かく切って、水槽に入れる作業を行いました。


また来週の月曜日に、倉庫内での洋服の値札貼りや仕分けの作業の仕事があります。


ちなみにいままでの2回のうち、圧倒的に大変だったのは豆腐工場での仕事です。
食品を扱っているので仕方ないのですが、白い作業服に着替えたり、手洗いや消毒を行ったり、マスクをつけたりします。正直に言えば、この手順が細かく、ひどく面倒に思いました。
消臭剤の検品は給食着にあるような頭を覆う帽子と、エプロンさえつけていれば良かったので・・・。


また、その工場内も機械が発する熱で非常に暑かったです。先ほども書いたように食品を扱っているので、作業服とマスクで目元以外は密閉されています。そのせいもあり、作業服の中は汗でダラダラになっていました。途中、水分補給は自由に取れますが、それでも汗は収まりませんでした。
帰り際に、その日一緒に工場に行った人から聞きましたが、工場内部は50〜60℃(!)くらいもあるそうです。どうりで暑かったワケだ・・・。


ただ、その豆腐工場のような大変さはありますが、工場勤務は基本的には自分の目の前の仕事さえ行っていれば良いのでラクだと感じます。


また、神経症により元々高くなかったストレス耐性がさらに低くなり、仕事中にイライラすることもあるのですが(苦笑)、
派遣の場合「その日だけの我慢」と思えるので、そうした意味でもラクだと感じます。


・・・実は、いままで面接を受けたり、書類審査として履歴書等を送ったりした会社からまだ全部結果が返ってきたワケではないのですが、既に1社から採用をもらっていました。


しかし、様々なことを考え、その採用を辞退しました。

 

その主な理由は、仕事の環境に対する不安です。
コールセンターの印象から想像してもらえると思いますが、職場にいる人のうち、9割が女性です。
また、先ほども書いたように、仕事の内容は食べ物の通販です。


実は、この「職場の9割が女性」というところも、「食べ物を扱う会社」というところも、以前勤めていた会社と共通するところです。
以前の会社の今年の新卒は私も含めて4人いたのですが、私以外の3人は全員女子でした。
それに加え、もちろん上司もほとんど女性です。
そうした環境で体調を崩し、神経症の診断を受けて療養していた経緯があるだけに、フラッシュバックとは違うのかも知れませんが、やはり似た環境で以前の会社のことを思い出すのは嫌だと思いました。


ネット上の求人で見たときはそこまで感じませんでしたが、面接のために会社を訪れたときに、そうした以前の職場との共通点を肌で感じました。そこで初めて気付くなんて、私も迂闊だったと思います。


そうした理由から、その会社からの採用は辞退しました。


いまこのブログを読んでいただいている方のなかには、「せっかく採用してもらったのに辞退するなんて、甘えてる」と考える方もいらっしゃるかも知れません。
しかし、いまの自分の実感として、ストレスを感じる仕事の環境や内容には極力身を置きたくないのです。


そして、そうしたことを考えた結果、派遣の仕事をこなしていくことが自分にとって一番ストレスを感じなくて済む方法だと思いました。


それでも、いつかは固定のアルバイトに就きたいという思いがあります。
そうしたワケで、いまは派遣の仕事を頑張りながら、これまでに応募した求人の結果を待ちつつ、新しいアルバイトも見つけたいと考えています。


そこまでの道はもう少し遠いですが、とりあえずお金を稼ぐことが出来るようになったのは良かったと思います。


では、おやすみなさい。

 

「海程」について思うこと

 

こんばんは


日付が変わって、昨日は大宮まで「海程」の句会に行ってきました。


「海程」の句会に参加したのは前回(7月)に続き2回目です。


初めて参加したときの句会の様子や、そもそも句会がどのようなものなのか、また、「海程」がどのような結社なのかということについては、こちらの記事を読んでいただければ分かると思います。


http://ryjkmr.hatenablog.com/entry/2017/07/23/154550


今回も事前に句をハガキに書いて送ります。


私が送ったのは、次のような句です。


秋立ちて病院の椅子なほ低し


正直、自分のなかでも納得のいく句が詠めたという実感があり、自信もありましたが、結果は3点と振るいませんでした・・・。もちろん講評もしていただけませんでした。


また、金子兜太主宰からの選も、今回は選ばれませんでした。


残念ですが、今回にめげず、もっと俳句を勉強しようと思います ( ̄^ ̄)ゞ


さて、そんな金子主宰ですが、やはり体調が思わしくないようで、今回も句会には出席されませんでした。


また、「海程」では、毎年5月頃と11月頃に全国大会が開かれています。
今年の5月の全国大会は行われましたが、11月の全国大会は中止になることが決まりました。
この中止の主な理由も、金子主宰の体調にあるそうです。


「海程」の全国大会には自分のような非会員であっても参加出来るので、
実を言うと「金子主宰にお会い出来る最大のチャンスだ」と考え、参加したいと強く思っていました。
それだけに、中止の報せは残念でした。


そうした金子主宰の体調や、そもそもの高齢化を受けて、「海程」は来年の秋で終刊になることが決まっています。
私が非会員なのは、そのことを踏まえた、あえての判断です。しかし、「海程」の終刊までに一度は実際に金子主宰にお会いしたいという思いはあります。


正直、それが叶うのか不安ですが、今回の句会の二次会である方から


「終刊するまでに、一回はこの句会に姿を見せてくれると思う」


と仰っていただいたので、その言葉を信じたいと思います。


また、「自分がもっと早くから俳句を始めていれば良かった」という思いももちろんありますが、
「何故終刊してしまうんだろう」という思いも強いです。


正直に言えば、金子主宰の後を誰かが引き継いで、結社や俳誌は残す、という結論を出してほしかったです。
そういう考えもあった末の「終刊」という結論なんでしょうが・・・。


「海程」は、北海道から沖縄まで、全国に約500人の会員がいる結社です。この会員数は、俳句結社のなかではかなり多いほうと言えます。私が大宮の句会で知り合った方々は、そのほんの一部に過ぎません。
その500人が、来年の秋からそれぞれ新しい俳句の道を歩んで行きます。恐らく、俳壇のなかで大きな流れになると思います。
私がいま気になっているのは、終刊したあとで、句会で知り合った方々がどんな方向を進んでいくのかということです。


漠然とですが、いままで知り合った田中亜美さんや宮崎斗士さんといった若い方たちと行動を共にしたいと思っています。


また、会員の方のお話によれば、「海程」は会員数自体は多いですが、そのなかの若い世代の会員は少ないそうです。
さらに、「海程」は、主宰(師匠)からの教えを忠実に守るというよりは、それぞれが自由に句を詠んで良いという、その人の個性を重視する結社です。
私は、そうした自由な雰囲気があることも「海程」の魅力の一つだと思います。しかし、そのことと表裏一体として、「後継者を育ててこなかった」ということも指摘されているそうです。


会員でもない私が書くにしては突っ込んだ話かも知れませんが、会員の高齢化と後継者不在ということが、いま終刊間近の「海程」が抱える課題だと、そのお話を伺って思いました。


また、私より年代が上の方からは、「若い方が多い『炎環』や『澤』に入ったらどう?」と気遣っていただくこともあります。


「炎環」や「澤」が悪い結社だとは思いません(というより、結社の良し悪しを見分けられるほど俳句を勉強していません)。


しかし、やはり自分のなかで「海程」の憧れや魅力が強くあります。
それは、先ほど書いた自由な雰囲気もそうですが、自分が俳句に触れていくなかで「良いな」と思った俳人が、故人も含め多く「海程」に所属していたことへの憧れや魅力です。特に、林田紀音夫への憧れは強いです。

 

林田紀音夫は、終戦の年に最後の兵隊として入営し、同じ年の暮れに兵隊の任務を終えました。

その後、戦後間もない時代の貧しい暮らしを受け、彼は肺結核を発症し入院します。俳句を詠み始めたのは、入院した翌年のことでした。

やがて退院しますがやはり仕事に恵まれず、それからの7年間を無職で過ごしました。

 

林田の句には、そうした貧しさや病いから実感した「死」の影や、生活の悲しみが深く刻まれています。

重たい内容ですが、読む人の胸を打つ句です。


また、私のなかの好きな俳人には、林田紀音夫と並んで大道寺将司がいます。
大道寺は新左翼組織「東アジア反日武装戦線“狼”」のリーダー格の人物として、三菱重工をはじめとする複数の企業に対し爆弾を仕掛け、大きな被害を出しました。
そして逮捕され、最高裁で死刑が確定してから東京拘置所の獄中で俳句を詠み続けました。

 

大道寺の句には、死刑囚としての自分の姿や、自分が犯した事件への後悔が深く刻まれています。

林田と背景は違いますが、「死」について俳句に深く刻み込んだという点で、2人は共通していると思います。

 

そもそも私が俳句を始めたのは、大学の卒業論文で大道寺将司と東アジア反日武装戦線についてまとめたことがきっかけです。つまり、その作品に触れたのは林田より大道寺が先です。


言わば大道寺は、私にとっての俳句の原点です。しかし、大道寺は「海程」ではなく、「六曜」(むよう)という結社に所属していました。


六曜」への入会も一瞬頭を過ぎりましたが、すぐに取り消しました。
その理由として、まず「六曜」が主に関西で活動している結社であり、埼玉県に住んでいる私にとっては句会等に参加しづらかったからです。
そして何より「大道寺の作品に触れ、大道寺と同じ結社に入ると、彼の真似事のような句しか詠めないのではないか?」と考えたからです。
キザっぽい言い方になってしまいますが、「自分の俳句を見つけるため、あえて大道寺とは別の道を行こう」と考えました。


そうした考えのもと浮かんだのが、大道寺の次に影響を受けた林田が所属していた「海程」という選択肢でした。


・・・こうして様々な理由を書いていると、やはり自分自身で「海程」への思いが深まっていくのを感じます。


ちなみに、前回の句会の二次会で田中さんから「終刊が決まってるのを分かって『海程』の句会に来るなんて、きみバカだよ。エリートコースをはずれて旅に出た種田山頭火や尾崎放哉よりバカだよ」と言われました。
最初は褒められたと思いましたが、いまになりその言葉がジワジワ効いてきています(笑)


また、こんなにも「海程」にこだわる自分の姿を客観視してみると、「生来の視野の狭さと頑固さがこんなところにも表れたか」と苦笑してしまいます。
でも、やはり終刊間近であったとしても「海程」の句会に参加し、そのなかで様々な人と知り合えたことは良かったと考えています。


最初の話に戻りますが、今回の振るわなかった結果を挽回するためにも、また次回(10月21日 土曜日)の句会に自分が納得出来る句を携えて参加しようと思います。


そして、その句会を居場所として、終刊までの「海程」の動向、終刊からのそれぞれの動向を見つめていきたいです。


「海程」の自由な雰囲気と、林田紀音夫をはじめ多くの優れた俳人を育ててきた歴史が、私は大好きです。

 

医師から「減薬しても大丈夫」と仰っていただけました!

 

こんにちは

 

今日は、埼玉医科大学病院まで診察に行ってきました。

 

最近の体調が安定していることや、9月から仕事を探しはじめていることを医師に伝えました。

 

そして、少し性急かも知れないという思いもありましたが、こんなことを訊いてみました。

 

「いつまで病院に通えば良いですか? また、処方せんだけ出していただくことは可能でしょうか?」

 

すると、医師はこんなことを仰いました。

 

抗不安剤睡眠導入剤を次回の診察まで全く服まなかったら、病院に通わなくても大丈夫です。

また、私たちもただお薬を処方しているというワケではなく、こうして実際に患者さんと話して、状態を見たうえで処方しています。

そのために、これからは体調が良いときや寝つきが良いときは、抗不安剤睡眠導入剤を減らしていけたら良いと思います。」

 

・・・実は最近、体調が良いときは1日3回の抗不安剤を服まない時間もあったのですが、

それを医師に話すと「勝手に減薬した」と思われるかも知れないと思い

「1日3回服んでます」と言ってしまいました・・・(苦笑)

 

なんだか、それが裏目? に出ちゃいました( ̄▽ ̄;)

 

というワケで今回は、また次回の診察まで抗不安剤(1日3回分)と睡眠導入剤(1日1回分)を処方されてしまいましたが、

それでも医師から「減薬しても大丈夫」と仰っていただけたことは良かったと思います。

 

抗不安剤はこのまま減らしていきたいし、睡眠導入剤はまた服まずに眠れるようになりたいです。

 

また、全体を通して、症状が悪化していないことも良かったです。

 

そして、次回の診察までどのくらい薬を服んだか(或いは服まなかったか)ひと目で分かるように、

明日の朝から細かくメモをつけていこうと思います。

 

焦る必要はありませんが、自分のいまの体調がどのようなものか分かるように、

また少しでも薬を服まない状態に近づけるようにそれをしようと思います。

 

そんな次回の診察は、また約1ヶ月後の10月4日 水曜日です。

 

そのときまでに少しでも体調を良くしていきたいです。

 

・・・それにしても、こうしてブログを書いていると確実に神経症が良くなってきているのが分かります。

 

以前、私の体調を心配して、わざわざ私の最寄り駅まで学生時代の友人が来てくれたことがありました。

その友人は大学院に進学したので、駅前のカフェで私の体調の報告も交えながら世間話をしました。

 

そして、そのときに友人からこんなことを言われました。

 

「でも、いまは神経症に限らず心の病を持っていても、3〜4ヶ月くらい集中して治せば、あとは良くなっている人も多いらしい。

それで、また体調が悪くなったら薬をもらうみたい。もしかしたら木村くんもそうなるんじゃないかな。」

 

この言葉を聞いたときは、そうなってほしいと思いながらも、「本当にそんな上手くいくのかな」という気持ちのほうが正直強かったです。

 

でも、いまこうして神経症の診断を受けてから、仕事も探せるようになり、医師から減薬を認めていただけるようになるまでを振り返ると、

友人が言ってくれた言葉に近づいていると思い、嬉しくなります。

 

昨日も履歴書を何枚か書き、明日からも数件面接が続いていたりと、最近忙しい日々が続いています。

でも、それが報われるよう願って、体調と相談しながら頑張ろうと思います。

 

では、また。

俳句まみれの一日から

 

こんばんは

 

日付けが変わって9月2日になりました。

 

昨日は、俳句まみれの一日でした。

 

まず朝、今月9日にある「海程」の句会へ提出する句を書いたハガキを、郵便局まで出しに行きました。

 

そのあと、お昼を食べていつの間にか眠ってしまい(苦笑)、

夕方から駅前の本屋に行きました。

 

予約してあった本を受け取るためです。

 

その本とは、こちら。

 

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佐藤文香(さとう・あやか)『天の川銀河発電所』。

 

サブタイトルに「Born after 1968」「現代俳句ガイドブック」とあるように、1968年より後に生まれた若い俳人の句を集めたアンソロジーです。

 

どんな俳人が取り上げられているかとか、どんな句が収録されているのかとか、書きたいことは沢山あるのですが、

まず印象的だったのは、それぞれの俳人の分類です。

 

通常、こういった俳句のアンソロジーは、俳人の生年順か、五十音順でまとめられているものが多いです。

 

しかし、この本は

「1 おもしろい」

「2 かっこいい」

「3 かわいい」

の3章に分かれています。

つまり、著者の感性に委ねられた分類がされているのです。これはとてもユニークな分類だと思います。

 

もちろん、この「おもしろい」「かっこいい」「かわいい」という分類は、決して著者の主観だけで決められているのではなく、なぜそういう分類をしたのかという解説も書かれており、それぞれの句を読む手助けになっています。

 

本屋で受け取ったあとは、帰り道の途中にある自宅から程近い公民館に寄り、この本をしばらく読んでいました。

 

一気に全部読んでしまうのはなんとなくもったいない気がして、まだ「1 おもしろい」の章しか読んでいないのですが、

それでも自分のいままでの「俳句」のイメージを飛び越えてゆくような句がたくさん収録されていて、読んでいてとても楽しかったです。

 

「俳句」と聞くと、「難しそう」「お年寄りのすること」といったイメージを持つ人が多いかも知れません。

 

また、「俳人」と聞くと、松尾芭蕉小林一茶といった江戸時代の俳人の他は思い浮かばない人が多いかも知れません。

 

でも、この本は「俳句」「俳人」に対してそうしたイメージを持つ人にこそ読んでほしくて書かれたのだと思います。

 

先ほど書いた分類の方法もそうですが、『天の川銀河発電所』という一見小説のような、さらに言えば俳句アンソロジーらしくないタイトルからもそれを感じます。

 

とにかく、続きを読むのが楽しみな本です。先ほど書いた9日の句会までには読み終えて、当日には持っていこうと考えています。

 

さて、そんな俳句まみれの一日から、ふと自分の病気についてあることを考えました。

 

私は、毎月の終わりにその月に詠んだ句をWordに書き写して、USBに保存しています。

その作業では、単純に句の書き写しではなく、その月に何句詠んだかという数字も記録しています。

 

それで、8月の句についてその作業をしていたとき、気付いたことがありました。

 

だいたい私が月に詠む句は平均して33〜36句くらいなのですが、8月に詠んだ句は55句と、いままでに一番多い句数でした。

 

私はそのことに気付いたとき、「療養生活もただダラダラと過ごしていたワケではないんだ」と思えました。

 

療養生活に限らず日々の生活は、なんだかんだ過ぎて行ってしまい、気付けば夜になっていることが多いと思います。

 

例えばそうした日々のなかで、行きたい場所があるのに行けないままになっていたり、

読みたい本があるのに読めないままになっていたりすることもあると思います。

 

よほどこまめに日記をつけているような人でなければ、そうした日々の実感を持つことは難しいのではないでしょうか。

 

私の場合も、そうした日々の実感を持つことを難しく感じていました。言い換えれば、日々の「自分の糧」を持つことを難しく感じていました。

 

もちろん、体調が悪いときに横になるのは必要なことですが、

仕事も出来ず、さらに夜が来るのを待つだけの日々はひどくつまらない気がしました。

 

自宅から程近い公民館の図書室には結構通いましたし、本を読んでいる時間は楽しかったですが、

その読書が自分の糧になっているという感じは正直ありませんでした。

 

そうしたなかでも、俳句は詠み続けました。

俳句の良いところとして、その短さがあると思います。短いということは、いつでもどこでも詠めるということです。

先ほど毎月の俳句をUSBに保存していると書きましたが、私は普段はスマホのメモ帳に俳句を詠んでいます。

だから、多少体調が悪くても、枕元にスマホを置いていれば句を詠むことが出来ました。

 

そうして、8月の間に詠み続けた俳句は、繰り返すようにいままでに一番多い句数となりました。

 

私は、パソコンの画面に並んでいるそれらの句を見ながら、

なにか日記の代わりのように思えて、ようやく自分の糧を得たような気がしました。

 

また、私が俳句を詠みはじめたのは昨年の12月からで、そのときは神経症の診断を受けるなど知る由もありませんでした。

しかし、もし私が俳句を詠んでいなければ、その療養生活はもっと無気力で、もっと悲しいものだったと思います。

 

俳句は、そのとき自分が感じたことを季語と合わせて詠むという詩ですが、俳句に限らず、自分について言葉で表現するということは、自分を客観的に考えることでもあると思います。

例えば、自分が頭が痛いときや、夜に眠れないとき、それを言葉に置き換えなければ、ただ「つらい」「苦しい」という感情で終わってしまいますが、言葉に置き換えることで、それを冷静に見る視点が生まれます。

 

短夜をいつも頭痛に奪はれり

紫陽花のしづかな眠り羨まし

 

下手な句であることは分かっていますが、こうして俳句の形にすることで、私は自分の気持ちを整理していたんだと思います。

 

こうしたことを書くのは非常に恥ずかしいのですが(笑)、

私は俳句に救われていたんだと思います。

 

8月の終わり、療養生活の終わりにそうしたことが分かって良かったです。

 

というワケで、それを自分の糧として、仕事探しをしていきたいです。

 

履歴書のインクのかほり秋立ちぬ