今夜は眠れるかな

木村リュウジのブログ。神経症患者としてでなく、ひとりの人間としての日々の思い 。Twitter→(https://mobile.twitter.com/ryjkmr)

彼女のこと

 

こんばんは

 

私には、去年の8月から付き合いはじめて、この間1周年を迎えたばかりの彼女がいます。

 

実は、私が神経症になった遠因のひとつに、彼女への劣等感があります。

最初に断っておきますが、だからと言って彼女のことを責めるつもりは全くありません。

 

本人が嫌がるのであまり詳しくは書きませんが、彼女は私より何歳か年上です。また、彼女の仕事は自由業に近いです。

どこかの会社に勤めるのではなく、自分の家で仕事をするような感じです。

 

私たちが付き合い始めた頃、彼女のそうした仕事は、初めて世の中に認められようとしていました。

 

私は、内定が決まるのが周りより遅く、8月になってもまだ内定先が決まっていなかったのですが、

彼女の仕事ぶりを見て自分も就活を頑張ろうと想えていたし、なにより彼女の仕事を素直に応援することが出来ていました。

 

それからしばらく経ち、今年の冬に彼女の仕事はひとつの結果を出せました。

私も大学の卒業を間近に控え、この頃までには内定先も決まっていました。

 

そのときの私のなかには、「彼女が頑張ったように、自分もこれから頑張ろう」という想いだけがありました。

年上ということもあり、先に結果を出したからと言って、彼女への劣等感は微塵もありませんでした。

 

その想いが徐々に崩れていったのは、私が入社してからのことでした。

「自分が想像する仕事と、実際の仕事にはギャップがある」とは多く言われますし、私もそうだと思って3月の終わりに入社しました。

 

しかし、そのギャップは私が考えていたよりずっと大きいものでした。

 

まず、同期や上司との人間関係に馴染めませんでした。

それから、仕事も難しかったです。

 

また、毎朝5時半に起き、満員電車に揺られ、仕事場でギクシャクしながら、仕事を終え家に帰る・・・。

 

そうした会社での問題やいままでとは違った生活に、はじめは慣れようと努力してきました。でも、結果として私の心は段々とすり減っていきました。その後結局、自律神経障害を経て神経症の診断を受け、会社も退職しました。

 

そして、私のそうした精神面の不調と反比例するように、その冬にひとつの結果となった彼女の仕事は、段々と世の中に認められていきました。

 

もちろん、彼女がそうした結果を出すために、何年も努力したことは頭では分かっています。

決して手品師のように、ポンとひとつの仕事を完成させたワケではないのです。

 

ただ・・・そう思いながら、私のすり減っていく心のなかで、彼女の仕事への尊敬や憧れは、いつしか劣等感に変わっていました。それは私にとって苦しいものでした。

 

繰り返すように、彼女を責めるつもりは全くありません。

言い訳がましく聞こえてしまうかも知れませんが、私にとって苦しいのは、彼女という優れた才能の持ち主が隣にいることではなく、その才能を素直に認められないということです。

そして、それを自分の胸に抱くばかりか、直接彼女に「劣等感を抱いてしまう」と伝えてしまいました。

 

しかし、彼女は私のそうした言葉を聞いたあとも、私の病気を理解しようとしてくれました。彼女の提案で、仕事終わりに一緒にご飯を食べたこともあります。

もしこれが逆の立場だったらどうだろう、と考えてしまいます。

自分が努力の果てにつかんだ結果を、本来一番支えてほしいはずの存在から、病気とは言え「劣等感を感じてしまう」と言われてしまったら。

恐らく私は、彼女ほど支えることは出来なかったと思います。

 

しかし、そうした彼女のサポートも裏切るように、私の病気はどんどん悪くなっていきました。

私も、良くないとは頭で知りながら、彼女に対する劣等感をぶつけてしまうことが、それからも度々ありました。

 

そして、とうとうある日彼女からこう言われてしまいました。

 

「疲れた」。

 

それは、普段は控え目で、他人の影に立ちその人を支えるような性格の彼女が、堪らず口にした本音だったと思います。

 

私は、その言葉に対し、申し訳なさでいっぱいになりました。

 

そして、完全に別れるというワケではないけれど、連絡する回数を少なくすることを提案しました。向こうも受け入れてくれました。

 

いまは、そのようにして、私の体調や情緒が比較的安定しているときに連絡を取り合うようにしています。

 

・・・彼女と連絡を取らない夜、布団に入って天井を見上げていると、色々なことを考えてしまいます。

 

彼女が出した最初の大きな結果を、素直に認めることが出来ないことへの申し訳なさがあります。

あるいは、懸命なサポートの果て、彼女に「疲れた」と言わせてしまったことへの申し訳なさがあります。

 

また、正直に言えば不安定な身分である自由業の彼女が困ったときには、正社員という安定した身分を活かして自分が何かしようとも考えていました。

しかし、いまはそれも出来ません。そのことへの悔しさもあります。

 

・・・そして、「次に彼女が大きな結果を出せたとき、同じように劣等感を抱いたままなのか」という不安が一番大きいです。

 

そんな不安を抱いたとき、フッと「いま別れれば、お互いラクなのではないか」という思いがよぎります。

 

しかしその度に、「向こうが私も体調や精神面をサポートしてくれた挙句の果てに『別れる』ということは、逃げたことにしかならない」と想い直し、踏み留まっています。

 

いまは、少し離れているだけなんだ。

 

いまは、体を休めるのに必要な期間なんだ。

 

そう自分に言い聞かせています。

 

いつか、また仕事が出来るようになり、彼女に劣等感を抱かずに済む日が来るんだ。

 

そう信じています。

 

そして、その日が来たら、他人からエゴイズムと思われようがいままでの分いっぱいの「ありがとう」と「ごめんなさい」を彼女に伝えるつもりです。

 

いつかその日は来るはずです。

 

いつか・・・