今夜は眠れるかな

木村リュウジのブログ。神経症患者としてでなく、ひとりの人間としての日々の思い 。Twitter→(https://mobile.twitter.com/ryjkmr)

夏まで生きていようと思った

 

おはようございます。

 

昨日、8月8日は私の23歳の誕生日でした。

この日のTwitterに、私は朝早くこんなことをツイートしました。

 

「今日で23歳になりました。家族や友人、恋人といった自分の病気を支えてくれている人に、改めて感謝したいです m(_ _)m」

 

この言葉にウソはありません。「私には支えてくれる人がいる」ということは、特に意識しています。

 

最近、また夜中の頭痛と息苦しさが起こるようになりました。
荒い息を立てているとき、私は自分の手を後ろに回して背中を撫でているしかありません。
そうしたとき、スゴくさびしい気分になります。


家族も寝ているし、友だちに連絡出来るような時間でもありません。
ひとりじゃないのは分かってるけど、どうしてもさびしくなるのです。

 

でもだからこそ、そうした孤独感に苛まれていないときは、繰り返すように自分の病気を支えてくれる人がいることを意識したいと思っています。

 

実際に誕生日には、彼女や友人といった何人もの人から「おめでとう」と言ってもらえました。

特に、大学を卒業後、実家がある新潟に帰ってしまい、他の友人と比べて会う機会がどうしても取りづらかった友人からそうした言葉をもらえたのは意外でしたし、嬉しかったです。


また、そうした人たちのなかには、「おめでとう」に加え、私の体調を気遣う言葉を掛けてくれる人もいました。ありがたいことです。

 

・・・ただ、ここからの話は暗いものになってしまうのですが、
その誕生日を終えて、私のなかでひとつの「この日までは生きよう」というモチベーションが無くなりつつあることも確かです。

 

正直に告白すれば、私は神経症の診断を受けてから、幾度か希死念慮に見舞われたことがあります。


よく希死念慮と自殺願望は似ているもののように言われますが、細かく言えば違うものです。
自殺願望はその人に耐えられないような悩みや苦しみがある、言い換えればハッキリとした理由があり死を願うものです。
希死念慮はそうではなく、むなしさを強く感じ、ハッキリとした理由はないけれど死を願うものです。


芥川龍之介の遺書に、その自殺の動機として「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」と書かれていたことは知られていますが、これはまさしく希死念慮と呼べるものでしょう。

 

希死念慮が起こると、ベッドに座って窓からの景色を見ても、眼に映るものすべてが灰色に見えて、なんとなく「このまま死んじゃっても良いかなあ・・・」と思うようになります。

 

私は、いままで診断を受けてから、そうした希死念慮が起こる度に、「夏まで生きていよう」と思い、踏み留まってきました。

 

その大きな理由の1つとして、前回のブログで話した彼女との交際1周年の記念日が8月の頭にあること。
もう1つとして、繰り返すように自分の誕生日があること。

 

しかし、それが2つとも過ぎてしまったいま、糸の切れた人形のように私は無気力になりつつあります。

 

芥川に続き自殺した文豪の名を出すことは不吉だとも思いながら、太宰治の『葉』という短編について話します。


太宰は1948年に自殺していますが、それまでに何回か自殺未遂を起こしています。
『葉』が収録された短編集『晩年』が出版されたのは1936年ですが、その前後、1935年と1937年にもそれぞれ自殺未遂を起こしており、やはり精神的に不安定だったことが分かります。

 

そして、『葉』の有名な一節にこんな文章があります。

 

「死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。」

 

太宰はこのようにして、「夏まで生きていようと」思うのですが、結果として、繰り返すように翌1937年に自殺未遂を起こし、1948年には遂に亡くなってしまいます。

 

このような太宰の辿った道筋、また、芥川の述べた「ぼんやりした不安」は、私にほのかな不安を抱かせます。

 

そして、そんな不安を抱かないために、いまの私が出来ることはなんだろう、と考えます。

 

まずは、ちょうど今日の午後にある心療内科の診察で希死念慮について話すこと。


あとは、8月中旬に俳句結社「海程」の方から誘われている吟行(実際に公園等を散策して、眼で見た景色から俳句を詠むこと)にも行ってみようと思います。


それから、9月にある「海程」の句会に参加してみようとも思います。

 

そういう風に、少しずつ自分のやりたいことを増やしていき、不安を少なくさせることが大事なんだと思います。

 

来年の夏も、生きていようと思います。