今夜は眠れるかな

木村リュウジのブログ。神経症患者としてでなく、ひとりの人間としての日々の思い 。Twitter→(https://mobile.twitter.com/ryjkmr)

俳句雑感

 

こんにちは

 

Twitterの俳句アカウントについて、最近思うことがあります。

 

それは、非常にせわしなさを感じているということ。


私もフォローしていますが、毎朝5時に何かしらの季語を発表してくれるアカウントがあります。そして、皆その季語をもとに俳句を詠んでいるという状況です。

 

そうすると、何というか、その季語の発表をスタートに、誰がどのくらい早く詠めたか、何句くらい詠めたかといった競争するような雰囲気になってしまっているのです。
恐らく本人たちにそのつもりはないのでしょうが・・・。


私も取り立てて俳句が上手いワケではありませんので、いまここで誰かの詠んだ句について意見を述べようというつもりはありません。

しかし、一つだけショックだった出来事がありました。

 

その日の季語は「生ビール」でした。元々「ビール」は夏の季語になっていて、それに関連する季語として「生ビール」が発表されたのです。

そのなかの一つに、どなたが詠まれたのかは忘れましたが、こんな句がありました。

 

生ビール五臓六腑に沁み渡る

 

私も俳句について詳しいワケではありませんが、この句を読んだとき、あまりにも俳句と呼ぶには単調な気がしたのです。
さらに言えば「この人には自分にとって俳句とは何かとか、そういったものがあるんだろうか?」と、つい訝ってしまいました。

 

もちろん、素晴らしい句も沢山あります。しかし、こうした句が朝5時から競うように詠まれているのを見ると、どうしても「質より量」という言葉が浮かんでしまいます。

 

私の場合、大体朝起きてその日の季語を知ってから、夜中の9時くらいまで考えて、1句か2句を投句します。
まだ俳句を詠みはじめて7ヶ月という初心者であり、句作に不慣れだからという理由もありますが、それ以上にその季語から自分が連想するイメージを時間をかけて作り上げていきたいからという理由が強いです。

 

私の好きな俳人の一人に攝津幸彦(1947〜1996)という人がいるんですが、彼は広告会社に務めながら俳人をしていました。
そのため、句作は休日の土日に集中します。まず土曜日に俳句のイメージを膨らませて、日曜日にそれを何十句と原稿用紙に書いていったそうです。
そして、その原稿を3ヶ月ほど推敲させ、句集に載せる俳句としてまとめたそうです。

 

私はこうした攝津の作句方法を知ったとき、非常に自分の俳句と丁寧に向き合っている気がしました。また、それと同時にその姿勢に憧れました。

 

TwitterというSNSを俳句発表の場としていると、その流動性の激しさから、どうしてもそうした丁寧な向き合い方は難しくなります。それは、たとえ夜9時までねばったうえで投句をしていても思うことです。

 

この間、「海程」の句会に初めて行ったときの興奮がまだ残っているのかも知れませんが、
最近の私はTwitterで句を毎日発表するより、月に一度の句会でその月の「渾身の一句」とでもいうべきものを発表したほうが、俳句を詠むうえでハリがあると思えて仕方ないのです。

 

句会の前の練習として、Twitterを使うという方法もあるでしょうが、
やはり私にはあの毎朝5時から始まるせわしなさに馴染めません・・・。

 

そんな感じで、私が最近悩んでる俳句についてのお話でした。

 

そして、同じ「ビール」の季語で、自分がどんな句を詠んだのか教えないということはやはり不公平なので、最後に書き留めておきます。

 

毒呷る勇気も無くてビール呑む

 

では、また。