今夜は眠れるかな

木村リュウジのブログ。神経症患者としてでなく、ひとりの人間としての日々の思い 。Twitter→(https://mobile.twitter.com/ryjkmr)

偶然見つけたブログから

こんばんは。

 

最初に断っておきますが、前回のブログとは180度違うことを書きます。

つまり、まだ体調は完全に整っていないけれど、医師から「働いても大丈夫」と仰っていただいて嬉しかったこととは、真逆の内容です。

 

友人のツイッターを見ていたら、とあるブログ記事にたどり着きました。まずはその記事を読んでいただいたほうが良いかも知れません。

 

http://aniram-czech.hatenablog.com/entry/2017/08/10/220000

 

・・・この記事で触れられている、「これから樹海に行きます」という記事を最後に更新されなくなったブログそのものを、自分は実際に見つけることは出来ませんでした。

 

このブログについて、記事のなかでは

「想像力には限界がある。想像力の向こう側へは行けない。だから、まだ知らないことを悔しいと思う。すでに知っていることを尊いと思う。」

と結論づけられています。

 

しかし、自分はそうは思いませんでした。

 

勤めていた会社を退職し、手元に残った貯金額をもとに生活し、それが無くなったら「これから樹海に行きます」と言い残して、死ぬ。

 

彼がたどったそうした道筋を、私は正直「羨ましい」と思いました。

 

私のブログで何度も書いているように、新卒で入った会社を、働きはじめて間も無く自律神経障害の診断を受けて休職、その後神経症の診断を受けて退職しました。

そのとき、手元にあった貯金額はあまり多くありませんでした。

 

なので、私はいつまた働けるようになるのか不安でした。

 

しかし、彼のたどった道筋を知って、「もし自分に充分な貯金額があったら、同じことをしていただろうな」と思いました。

 

私にも「死」に対する恐怖はあります。ただ、それは「死ぬことへの恐怖」ではなく、「自殺の痛みの恐怖」、あるいは「死ねずに障害が残ることへの恐怖」のほうがどちらかというと強いです。

 

彼が結局樹海に行ったのか、また樹海で自殺に成功したのかどうかは分かりません。

 

そのことについても、記事のなかでは

「そのブログが悪趣味な嘘であったらどんなにいいかと思った。もしくは、『樹海に行きます』のエントリを更新した後、気が変わって『やっぱやーめた』ってなっていたら、とか。」

と書かれていましたが、私はそういう風にも思えませんでした。

 

彼がブログを書きはじめた最初のうちにあった「死ぬのが怖い」という思いを、自分のなかで段々と克服し、毎日の様子を丁寧に書いて、そして「最後の晩餐」として、ファミレスのハンバーグを食べる。

 

・・・上手く言えないけれど、私は彼のそうした道筋を信じたいのです。

こうしたブログを書いた先にあったものが「悪趣味な嘘」で、それまでの日々がすべてひっくり返ってしまったら、こんなにむなしいことは無いと思うのです。

 

「自殺はいけないこと」というのは、特に遺族の悲しみを考えれば真っ当な考えなのでしょう。

 

しかし、それを踏まえて尚、私は「彼は自分の思い描いた死の設計図通りに死んでいった。その方法が例え自殺ではあったにしろ、彼は正しく死んでいった」と思うのです。

 

以前、ある死刑囚の獄中手記を読んでいたときのことですが、その人がある日の手記で自分の49歳の誕生日について触れていました。

その人は20代の半ばで逮捕されたので、当時すでに20年以上獄中にいました。

 

そうした状況を、その人は「考えようによっては、同世代の諸氏が背負っているしがらみとは無縁に生きているわけですから、恵まれている(!)のかもしれません。」と書いていました。

 

この手記の言葉をどのように感じるかは人それぞれでしょうが、私は自殺した彼の存在を知ったとき、ふと、この言葉を思い出しました。

 

同じ「死」でも、自殺と死刑とではその背景は大きく違います。

それでも、その死刑囚が抱いた「恵まれている」という思いは、自殺した彼のどこかにもあったんじゃないかと思うのです。

さらに言えば、獄中にいるわけでもなく、自由な生活が出来る彼にとって、そうした思いはより強いものだったのではないでしょうか。

 

彼が勤めていた会社を退職した理由は分かりません。

ただ、どのような理由にしろ「同世代の諸氏が背負っているしがらみとは無縁」になりたかったんだろうな、と思います。

だからもう二度と「社会」には戻ってこなかったんでしょう。

 

この間、大学を卒業してからあまり連絡を取っていなかった友人と、久しぶりにLINEで話しました。

友人は、しきりに

「残業続きできつい」

「帰っても飯食って風呂入って寝るだけになってる
プライベートな時間が欲しいわマジで」

と話していました。

 

私は、その言葉を聞いたとき、「私と彼のどちらが幸せなんだろう?」と考えてしまいました。

私には、医師から「働いても大丈夫」と仰っていただいたとは言え、まだ体調を整える時間が必要ですし、そもそも仕事そのものは見つかっていません。

しかし、その代わりではありませんが、プライベートな時間はあります。

本を読んだり、音楽を聴いたりする時間はあります。

 

友人からその言葉を聞いたとき、医師からの判断を聞いた直後に感じた手放しの希望に、少し影が差しました。

 

それでも、私には特別な才能もありませんから、また地道に働くしかないのでしょう。

そして、そのなかで楽しいことを見つけて、どうにかやっていくしかないのでしょう。

 

しかし、これは神経症と診断される前からずっと思っていたことなのですが、

もし宝くじで2億円や3億円が当たったら、まず私は会社に辞表を提出すると思います。

 

そのあとは、特別な贅沢をせず、少しずつそのお金を使っていきたいです。

そして、例えばそうした暮らしのなかで食べるファミレスのハンバーグは「とても美味しいだろうな」と感じます。