今夜は眠れるかな

木村リュウジのブログ。神経症患者としてでなく、ひとりの人間としての日々の思い 。Twitter→(https://mobile.twitter.com/ryjkmr)

俳句まみれの一日から

 

こんばんは

 

日付けが変わって9月2日になりました。

 

昨日は、俳句まみれの一日でした。

 

まず朝、今月9日にある「海程」の句会へ提出する句を書いたハガキを、郵便局まで出しに行きました。

 

そのあと、お昼を食べていつの間にか眠ってしまい(苦笑)、

夕方から駅前の本屋に行きました。

 

予約してあった本を受け取るためです。

 

その本とは、こちら。

 

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佐藤文香(さとう・あやか)『天の川銀河発電所』。

 

サブタイトルに「Born after 1968」「現代俳句ガイドブック」とあるように、1968年より後に生まれた若い俳人の句を集めたアンソロジーです。

 

どんな俳人が取り上げられているかとか、どんな句が収録されているのかとか、書きたいことは沢山あるのですが、

まず印象的だったのは、それぞれの俳人の分類です。

 

通常、こういった俳句のアンソロジーは、俳人の生年順か、五十音順でまとめられているものが多いです。

 

しかし、この本は

「1 おもしろい」

「2 かっこいい」

「3 かわいい」

の3章に分かれています。

つまり、著者の感性に委ねられた分類がされているのです。これはとてもユニークな分類だと思います。

 

もちろん、この「おもしろい」「かっこいい」「かわいい」という分類は、決して著者の主観だけで決められているのではなく、なぜそういう分類をしたのかという解説も書かれており、それぞれの句を読む手助けになっています。

 

本屋で受け取ったあとは、帰り道の途中にある自宅から程近い公民館に寄り、この本をしばらく読んでいました。

 

一気に全部読んでしまうのはなんとなくもったいない気がして、まだ「1 おもしろい」の章しか読んでいないのですが、

それでも自分のいままでの「俳句」のイメージを飛び越えてゆくような句がたくさん収録されていて、読んでいてとても楽しかったです。

 

「俳句」と聞くと、「難しそう」「お年寄りのすること」といったイメージを持つ人が多いかも知れません。

 

また、「俳人」と聞くと、松尾芭蕉小林一茶といった江戸時代の俳人の他は思い浮かばない人が多いかも知れません。

 

でも、この本は「俳句」「俳人」に対してそうしたイメージを持つ人にこそ読んでほしくて書かれたのだと思います。

 

先ほど書いた分類の方法もそうですが、『天の川銀河発電所』という一見小説のような、さらに言えば俳句アンソロジーらしくないタイトルからもそれを感じます。

 

とにかく、続きを読むのが楽しみな本です。先ほど書いた9日の句会までには読み終えて、当日には持っていこうと考えています。

 

さて、そんな俳句まみれの一日から、ふと自分の病気についてあることを考えました。

 

私は、毎月の終わりにその月に詠んだ句をWordに書き写して、USBに保存しています。

その作業では、単純に句の書き写しではなく、その月に何句詠んだかという数字も記録しています。

 

それで、8月の句についてその作業をしていたとき、気付いたことがありました。

 

だいたい私が月に詠む句は平均して33〜36句くらいなのですが、8月に詠んだ句は55句と、いままでに一番多い句数でした。

 

私はそのことに気付いたとき、「療養生活もただダラダラと過ごしていたワケではないんだ」と思えました。

 

療養生活に限らず日々の生活は、なんだかんだ過ぎて行ってしまい、気付けば夜になっていることが多いと思います。

 

例えばそうした日々のなかで、行きたい場所があるのに行けないままになっていたり、

読みたい本があるのに読めないままになっていたりすることもあると思います。

 

よほどこまめに日記をつけているような人でなければ、そうした日々の実感を持つことは難しいのではないでしょうか。

 

私の場合も、そうした日々の実感を持つことを難しく感じていました。言い換えれば、日々の「自分の糧」を持つことを難しく感じていました。

 

もちろん、体調が悪いときに横になるのは必要なことですが、

仕事も出来ず、さらに夜が来るのを待つだけの日々はひどくつまらない気がしました。

 

自宅から程近い公民館の図書室には結構通いましたし、本を読んでいる時間は楽しかったですが、

その読書が自分の糧になっているという感じは正直ありませんでした。

 

そうしたなかでも、俳句は詠み続けました。

俳句の良いところとして、その短さがあると思います。短いということは、いつでもどこでも詠めるということです。

先ほど毎月の俳句をUSBに保存していると書きましたが、私は普段はスマホのメモ帳に俳句を詠んでいます。

だから、多少体調が悪くても、枕元にスマホを置いていれば句を詠むことが出来ました。

 

そうして、8月の間に詠み続けた俳句は、繰り返すようにいままでに一番多い句数となりました。

 

私は、パソコンの画面に並んでいるそれらの句を見ながら、

なにか日記の代わりのように思えて、ようやく自分の糧を得たような気がしました。

 

また、私が俳句を詠みはじめたのは昨年の12月からで、そのときは神経症の診断を受けるなど知る由もありませんでした。

しかし、もし私が俳句を詠んでいなければ、その療養生活はもっと無気力で、もっと悲しいものだったと思います。

 

俳句は、そのとき自分が感じたことを季語と合わせて詠むという詩ですが、俳句に限らず、自分について言葉で表現するということは、自分を客観的に考えることでもあると思います。

例えば、自分が頭が痛いときや、夜に眠れないとき、それを言葉に置き換えなければ、ただ「つらい」「苦しい」という感情で終わってしまいますが、言葉に置き換えることで、それを冷静に見る視点が生まれます。

 

短夜をいつも頭痛に奪はれり

紫陽花のしづかな眠り羨まし

 

下手な句であることは分かっていますが、こうして俳句の形にすることで、私は自分の気持ちを整理していたんだと思います。

 

こうしたことを書くのは非常に恥ずかしいのですが(笑)、

私は俳句に救われていたんだと思います。

 

8月の終わり、療養生活の終わりにそうしたことが分かって良かったです。

 

というワケで、それを自分の糧として、仕事探しをしていきたいです。

 

履歴書のインクのかほり秋立ちぬ