今夜は眠れるかな

木村リュウジのブログ。神経症患者としてでなく、ひとりの人間としての日々の思い 。Twitter→(https://mobile.twitter.com/ryjkmr)

「海程」について思うこと

 

こんばんは


日付が変わって、昨日は大宮まで「海程」の句会に行ってきました。


「海程」の句会に参加したのは前回(7月)に続き2回目です。


初めて参加したときの句会の様子や、そもそも句会がどのようなものなのか、また、「海程」がどのような結社なのかということについては、こちらの記事を読んでいただければ分かると思います。


http://ryjkmr.hatenablog.com/entry/2017/07/23/154550


今回も事前に句をハガキに書いて送ります。


私が送ったのは、次のような句です。


秋立ちて病院の椅子なほ低し


正直、自分のなかでも納得のいく句が詠めたという実感があり、自信もありましたが、結果は3点と振るいませんでした・・・。もちろん講評もしていただけませんでした。


また、金子兜太主宰からの選も、今回は選ばれませんでした。


残念ですが、今回にめげず、もっと俳句を勉強しようと思います ( ̄^ ̄)ゞ


さて、そんな金子主宰ですが、やはり体調が思わしくないようで、今回も句会には出席されませんでした。


また、「海程」では、毎年5月頃と11月頃に全国大会が開かれています。
今年の5月の全国大会は行われましたが、11月の全国大会は中止になることが決まりました。
この中止の主な理由も、金子主宰の体調にあるそうです。


「海程」の全国大会には自分のような非会員であっても参加出来るので、
実を言うと「金子主宰にお会い出来る最大のチャンスだ」と考え、参加したいと強く思っていました。
それだけに、中止の報せは残念でした。


そうした金子主宰の体調や、そもそもの高齢化を受けて、「海程」は来年の秋で終刊になることが決まっています。
私が非会員なのは、そのことを踏まえた、あえての判断です。しかし、「海程」の終刊までに一度は実際に金子主宰にお会いしたいという思いはあります。


正直、それが叶うのか不安ですが、今回の句会の二次会である方から


「終刊するまでに、一回はこの句会に姿を見せてくれると思う」


と仰っていただいたので、その言葉を信じたいと思います。


また、「自分がもっと早くから俳句を始めていれば良かった」という思いももちろんありますが、
「何故終刊してしまうんだろう」という思いも強いです。


正直に言えば、金子主宰の後を誰かが引き継いで、結社や俳誌は残す、という結論を出してほしかったです。
そういう考えもあった末の「終刊」という結論なんでしょうが・・・。


「海程」は、北海道から沖縄まで、全国に約500人の会員がいる結社です。この会員数は、俳句結社のなかではかなり多いほうと言えます。私が大宮の句会で知り合った方々は、そのほんの一部に過ぎません。
その500人が、来年の秋からそれぞれ新しい俳句の道を歩んで行きます。恐らく、俳壇のなかで大きな流れになると思います。
私がいま気になっているのは、終刊したあとで、句会で知り合った方々がどんな方向を進んでいくのかということです。


漠然とですが、いままで知り合った田中亜美さんや宮崎斗士さんといった若い方たちと行動を共にしたいと思っています。


また、会員の方のお話によれば、「海程」は会員数自体は多いですが、そのなかの若い世代の会員は少ないそうです。
さらに、「海程」は、主宰(師匠)からの教えを忠実に守るというよりは、それぞれが自由に句を詠んで良いという、その人の個性を重視する結社です。
私は、そうした自由な雰囲気があることも「海程」の魅力の一つだと思います。しかし、そのことと表裏一体として、「後継者を育ててこなかった」ということも指摘されているそうです。


会員でもない私が書くにしては突っ込んだ話かも知れませんが、会員の高齢化と後継者不在ということが、いま終刊間近の「海程」が抱える課題だと、そのお話を伺って思いました。


また、私より年代が上の方からは、「若い方が多い『炎環』や『澤』に入ったらどう?」と気遣っていただくこともあります。


「炎環」や「澤」が悪い結社だとは思いません(というより、結社の良し悪しを見分けられるほど俳句を勉強していません)。


しかし、やはり自分のなかで「海程」の憧れや魅力が強くあります。
それは、先ほど書いた自由な雰囲気もそうですが、自分が俳句に触れていくなかで「良いな」と思った俳人が、故人も含め多く「海程」に所属していたことへの憧れや魅力です。特に、林田紀音夫への憧れは強いです。

 

林田紀音夫は、終戦の年に最後の兵隊として入営し、同じ年の暮れに兵隊の任務を終えました。

その後、戦後間もない時代の貧しい暮らしを受け、彼は肺結核を発症し入院します。俳句を詠み始めたのは、入院した翌年のことでした。

やがて退院しますがやはり仕事に恵まれず、それからの7年間を無職で過ごしました。

 

林田の句には、そうした貧しさや病いから実感した「死」の影や、生活の悲しみが深く刻まれています。

重たい内容ですが、読む人の胸を打つ句です。


また、私のなかの好きな俳人には、林田紀音夫と並んで大道寺将司がいます。
大道寺は新左翼組織「東アジア反日武装戦線“狼”」のリーダー格の人物として、三菱重工をはじめとする複数の企業に対し爆弾を仕掛け、大きな被害を出しました。
そして逮捕され、最高裁で死刑が確定してから東京拘置所の獄中で俳句を詠み続けました。

 

大道寺の句には、死刑囚としての自分の姿や、自分が犯した事件への後悔が深く刻まれています。

林田と背景は違いますが、「死」について俳句に深く刻み込んだという点で、2人は共通していると思います。

 

そもそも私が俳句を始めたのは、大学の卒業論文で大道寺将司と東アジア反日武装戦線についてまとめたことがきっかけです。つまり、その作品に触れたのは林田より大道寺が先です。


言わば大道寺は、私にとっての俳句の原点です。しかし、大道寺は「海程」ではなく、「六曜」(むよう)という結社に所属していました。


六曜」への入会も一瞬頭を過ぎりましたが、すぐに取り消しました。
その理由として、まず「六曜」が主に関西で活動している結社であり、埼玉県に住んでいる私にとっては句会等に参加しづらかったからです。
そして何より「大道寺の作品に触れ、大道寺と同じ結社に入ると、彼の真似事のような句しか詠めないのではないか?」と考えたからです。
キザっぽい言い方になってしまいますが、「自分の俳句を見つけるため、あえて大道寺とは別の道を行こう」と考えました。


そうした考えのもと浮かんだのが、大道寺の次に影響を受けた林田が所属していた「海程」という選択肢でした。


・・・こうして様々な理由を書いていると、やはり自分自身で「海程」への思いが深まっていくのを感じます。


ちなみに、前回の句会の二次会で田中さんから「終刊が決まってるのを分かって『海程』の句会に来るなんて、きみバカだよ。エリートコースをはずれて旅に出た種田山頭火や尾崎放哉よりバカだよ」と言われました。
最初は褒められたと思いましたが、いまになりその言葉がジワジワ効いてきています(笑)


また、こんなにも「海程」にこだわる自分の姿を客観視してみると、「生来の視野の狭さと頑固さがこんなところにも表れたか」と苦笑してしまいます。
でも、やはり終刊間近であったとしても「海程」の句会に参加し、そのなかで様々な人と知り合えたことは良かったと考えています。


最初の話に戻りますが、今回の振るわなかった結果を挽回するためにも、また次回(10月21日 土曜日)の句会に自分が納得出来る句を携えて参加しようと思います。


そして、その句会を居場所として、終刊までの「海程」の動向、終刊からのそれぞれの動向を見つめていきたいです。


「海程」の自由な雰囲気と、林田紀音夫をはじめ多くの優れた俳人を育ててきた歴史が、私は大好きです。