今夜は眠れるかな

木村リュウジのブログ。神経症患者としてでなく、ひとりの人間としての日々の思い 。Twitter→(https://mobile.twitter.com/ryjkmr)

大原テルカズへ逢いに 〜俳句文学館へ行ってきました 1〜


こんばんは


今日は、大久保にある「俳句文学館」へ行ってきました。

 

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ここの図書室には様々な句集や俳誌が所蔵されているのですが、私のなかでの最大の目的は大原テルカズ(1927〜1995)という俳人の句集を読むこと。
今回は、大原テルカズの俳句について書いていこうと思います。
そして、長い内容なので目次付きでお読みください。


目次


1 大原テルカズを知ったきっかけ


2 『黒い星』


3 『大原テルカズ集』


4 大原テルカズとは


1 大原テルカズを知ったきっかけ


大原テルカズの俳人としての知名度は、あまり高くありません。私も一昨年くらいに倉阪鬼一郎『怖い俳句』(2012年 幻冬舎新書)のなかで取り上げられているのを読んで知りました。


『怖い俳句』には、書名の通り江戸時代の松尾芭蕉から戦後に生まれた人まで、様々な俳人が詠んだ「怖い俳句」が収録されている本です。
しかし、そうした様々な俳人のなかでも、私のなかで大原テルカズの印象は特に強く残りました。


それは、その作風によるものです。『怖い俳句』に収録されている彼の句を紹介します。


枕辺に夢みよと誰が藁捨て置く


寝ている枕元に、何者かが「夢みよ」と藁を捨てていきます。随分と奇妙な発想の句ですし、また「誰」が何者なのか全く分からない不気味さも感じます。


その他にも、『怖い俳句』のなかに収録されている大原テルカズの句には


懶惰てふ體内の墓地晩夏光


積木の狂院指訪れる腕の坂


等があります。


まず1句目についてですが、懶惰(らんだ)とは、怠けること。自分のなかの怠ける心を「體内(体内)の墓地」と表現する重苦しさが印象的です。加えて「晩夏光」つまり、夏の終わりの光が自分に降り注いでいるのですから、「墓地」という表現と相まって、怠けるどころか、生きる気力すら感じさせないような句です。


2句目ですが、まず「積木の狂院」という表現が印象的です。「積木の家」なら微笑ましく感じますが、わざわざ「狂院」、つまり精神病院と特定されると、その雰囲気はガラッと変わります。
そして、その積木の狂院に、腕を這わせて指が訪れていると言っています。
私は、この積木の狂院に向かって、自分の腕を坂にして指を歩かせているその人物こそが、実際の狂院の患者なのではないかと思います。つまり、狂院と言っているにも関わらず、この句は狂院の内部の光景を詠んだものなのです。
大原テルカズの句について広く言われていることですが、彼の句は江戸川乱歩夢野久作の怪奇的・猟奇的な作風と似通った部分があります。
この句は、そうした部分が前面に押し出された句と言っていいでしょう。


このように『怖い俳句』で知ったときから、俳号がカタカナであるという珍しさも合わさって、大原テルカズの句は忘れられないものになりました。
早速句集を読んでみたいと思いましたが、彼の句集は2冊しかなく、しかもどちらも半世紀以上前に上梓されたものであり、Amazonにも古本屋にも出回っているのを見つけられませんでした。
また、俳句文学館の存在は知っていましたが、なかなか都合がつかず行けませんでした。


しかし、今回都合がつき、また俳句文学館にその2冊の句集ともあることを確認出来たので、思い切って行くことにしました。


2 『黒い星』


俳句文学館の図書室は、俳誌の最新号や、歳時記、俳人名鑑といった本はそのまま本棚から手に取って読めますが、その他の多くの本は専用の紙に書名等を書いて、司書の方に書庫から持ってきてもらう仕組みになっています。
大原テルカズの2冊の句集も、そうした書庫に入っているものでした。


大原テルカズの句集の書名は、それぞれ『黒い星』(1959年 芝火社)、『私版・短詩型文学全書6 大原テルカズ集』(1966年 八幡船社)といいます。『大原テルカズ集』は何冊かあるシリーズの1冊として上梓されたのでこうした平凡な書名ですが、一方の『黒い星』という書名は、これまで述べてきたような作風の印象をより強くさせるものだと思います。事実、この『黒い星』のイメージからでしょうが『怖い俳句』のなかでも大原テルカズは「暗黒詩人」と称されて紹介されています。


2冊の句集の書名を専用の紙に書いて司書に渡すと、いよいよそれが運ばれてきます。
『黒い星』『大原テルカズ集』ともに、いままでそのタイトルだけ知っていて全貌が掴めなかった本でしたから、やはり実際に手に取ったときは感動しました。


私は、『黒い星』のほうからそのページを開きました。最初に大原テルカズの師にあたる俳人・大野我羊の序文、次にテルカズと親交のあった俳人・高柳重信の「序にかえて」という文章を経て、いよいよ俳句が始まります。


しかし、『黒い星』の最初に載っていた俳句は、次のようなものでした。


冬晴のオリーブの葉を嗅いでみる


思わず「えっ?」と声を挙げそうになりました。「暗黒詩人」としての大原テルカズのイメージからはあまりにもかけ離れた、さわやかな句だったからです。
しかし、それもそのはずでした。この句には「千葉中学」と前書があります。彼は1941年、千葉中学校(現在の千葉県立千葉中学校・高等学校)3年生のときに作句をはじめましたから、まだはじめて間もない頃の句だと考えられます。


その後も、


歸るほかなし寒潮旣に夜へ走る


といった、割と目で見た風景をそのまま読んだ句が見受けられました。


『黒い星』を読んで、彼の作風が変わりはじめたのは終戦前後の頃だったと感じました。
終戦後に詠まれた句には、


陣痛の眼に兵隊の靴溢れ


ポケットからパンツが出て來た淋しい虎


といった、単なる風景から感じたことそのままではないものが増えているからです。


また、


十三夜廻舞臺のハムレット


複製の「狂女」(スーチン)と飮めり


といった西洋の文化をモティーフにした句も見受けられました。(ハムレットは言うまでもなくシェイクスピアによる演劇。スーチンとはカイム・スーチンというロシア生まれのユダヤ人画家で、「狂女」とは彼の作品のひとつ)


その後も


要保護者夜鳥のこえの間斷に


蠅わんさ來て絶叫の口掩う


といった不気味な句が並び、ここまで来ると私のなかの「暗黒詩人」のイメージと、実際の句から受けるイメージとが一致していきました。


特にすごい句だなと思ったのが


幼稚園葉桜吾子ら髑髏の實


という句です。句の解釈としては、葉桜の季節に幼稚園で自分の子を含む子供たちが遊んでいる。この子たちも、いまは可愛いけれど、きれいな桜が葉桜となりやがて冬木となるように、既に髑髏となる運命を潜んでいる、といったところでしょうか。
この解釈、そして「髑髏の實」という表現からも充分に不気味なのですが(笑)、特筆すべきはこの句の前書です。
この句の前書には「昨秋長女擬似日本脳炎たりしも障害なし」とあります。つまり、「昨年の秋、長女が日本脳炎のような症状になったが、後遺症となるような障害は無く治った」ということです。
この前書と合わせて読むと、句の不気味さは一層引き立つと思います。
つまり、テルカズは日本脳炎のような症状から治った長女が、幼稚園で他の友だちと遊んでいるという喜ぶべき実体験を見ても尚「吾子ら髑髏の實」と言うのです。
この句は大原テルカズのなかでもあまり知られていません。私も今日はじめて『黒い星』を読んで知りました。
しかし、私はこの句に俳人としての大原テルカズの本懐があると思います。
本来なら喜ぶべき体験を以て尚、人間の死を見つめようとするテルカズの姿には凄みを感じます。
『黒い星』を読み終えて、最も印象に残った句でした。この凄みに浸るまま、私は句集を閉じました。


3 『大原テルカズ集』


続いて『大原テルカズ集』を手に取りました。テルカズの2冊目のこの句集には、『黒い星』からの抜粋と、「心犬抄」という題で65句が新たに詠まれています。


今回「心犬抄」を読んで分かったのは、『怖い俳句』に収録されている句は、『大原テルカズ集』からの引用のほうが多いということ。先ほど紹介した


積木の狂院指訪れる腕の坂

も、「心犬抄」のなかに収録されています。


また「心の犬」という表現はテルカズにとって大きな意味を持っていたようで、『黒い星』にも


海坂に心の犬が曳くびっこ


占領旗心の犬が痺れいます


蒼いおけさで 心の犬煮つめる


といったように、多く登場しています。
しかし、「心犬抄」には「心の犬」という表現はあまり登場しません。強いて挙げるとすれば


母よ心犬咲くや波濤の肺


くらいでした。
恐らく、タイトルに「心犬抄」と付けた分、あえて句にはそうした表現を使わないように意識したのだと思います。


そうした「心犬抄」の全体としての印象ですが、『黒い星』より表れはじめた自分の心の内部が、より深く表現されていると感じました。また、そのため表現もより難解になっていると感じました。


例えば、


自説のような裏町混血の膿ひらく老婆


マッチに青い坊さんの群兄ら帰らず


星の領海エコーの頭蓋母ははハハ


といった句は、正直今日の今日ではそれぞれの単語に圧倒されるばかりで、まだ解釈の段階まで辿り着けていません。
でも、『黒い星』『大原テルカズ集』ともに気になった句は書き写してきたので、これからゆっくりと句に向き合っていこうと思います。(悪筆ですみません)

 

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4 大原テルカズとは


最後に、今日俳句文学館に行き、大原テルカズの俳句に触れたことから、自分のなかのテルカズに対する考えを書いてみたいと思います。
繰り返すように、大原テルカズは『怖い俳句』のなかで「暗黒詩人」と称されて紹介されており、句もそうしたイメージを裏付けるものが多いです。
また、これも繰り返すように彼の句は江戸川乱歩夢野久作の怪奇的・猟奇的な作風と似通った部分があります。


しかし、


幼稚園葉桜吾子ら髑髏の實


という句で感じた凄みからも、テルカズは乱歩や久作のように、全くのファンタジーとして怪奇的・猟奇的な句を詠んだわけではないと思います。
『黒い星』の「序にかえて」のなかで、高柳重信はテルカズの句についてこう述べています。


「いま、僕の眼の前には、この十余年間に、彼が秘かに剽めとり、秘かに貯えてきた多くの財宝が、――すなわち、『幼さ、卑しさ、愚かさ、古さ、きたならしさ、ひねくれ、濁り、独善、悠意』と彼が呼ぶところのものを蒐めた、句集『黒い星』がある。」


こうしたテルカズの、自身の句に対する認識を考えると、彼の句のなかの不気味な表現は、彼が人間に対して、そして自身に対して持っていた極めて強い性悪説的な考えの、切実な表れだと思います。


テルカズの句には


終湯は明日への穴のごと黒し


というものがあります。「終湯」(しまいゆ)とは、銭湯での最後のお湯のことです。その日1日多くの人が浸かった湯ぶねは、いくら浸かる前に体を洗うとしても垢で真っ黒になっています。
そうした終湯に入るということは、テルカズがそのくらい遅い時間まで働いて疲れ果てているということでもあります。
そして、その日の疲れを癒すためせめて入ろうとした銭湯でも、自分の前に広がっているのは垢で真っ黒になった湯ぶねです。
「明日への穴のごと黒し」という表現からは「明日からもこんな日々が続くのか・・・」と、ため息とともに漏れた言葉を想像出来ます。


先ほど、


幼稚園葉桜吾子ら髑髏の實


という句の凄みについて述べましたが、よく考えたら自分の子どもに「髑髏の實」という表現を充てている時点で、自身も「髑髏の實」であることを踏まえているのでしょう。


テルカズの一見不気味に、また難解に感じる表現にも、そうした自身について、生活についての切実な思いが潜んでいるのかも知れません。


しかし、そうした句を詠み続けることは恐らく体力的も、精神的にもしんどかったのではないでしょうか。
1966年に『大原テルカズ集』を上梓したテルカズは、2年後の1968年に『Unicorn』という、加藤郁乎等が中心となった俳誌の発刊に参加しますが、創刊号に参加したきりで『Unicorn』から離れてしまいます。このあたりから、寡作になっていったようです。
そして、そのあとは時折どこかの俳誌に作品を発表していたようです。
『俳句公論』(小寺正三主宰)1980年10月号に「鶴と犬」という題で


霊安所くずれ十字の霧腰かけ
孫曳くや黄泉をローマの石流れる
鶴と犬との骸に沈み霜蜥蜴
ししむらのコロナに次ぐや霜の華
脳裡緋に藍はた銀に或る町あり


という5句を発表します。これが現在確認出来る大原テルカズの最後の作品です。


そして、『怖い俳句』によれば1995年に亡くなったそうです。


今回、大原テルカズの句にまとめて触れ、彼に対する「暗黒詩人」としての印象は一層強まりました。
しかし、繰り返すようにそれが自身や生活の苦しみから表れた切実な表現だとすると、そうした呼び方だけで済むような俳人ではないことも感じました。


これから、少しずつではあっても大原テルカズの句に触れる人がいれば良いと思います。


また、俳句文学館では、大原テルカズの句集以外にも、はじめて読めた句集や俳誌がありました。
それらのことは、次の機会に書こうと思います。


では、おやすみなさい