今夜は眠れるかな

木村リュウジのブログ。神経症患者としてでなく、ひとりの人間としての日々の思い 。俳句が好きです。Twitter→(https://mobile.twitter.com/ryjkmr)

また療養することになりました


こんばんは。


今日は、少し残念な話をしなければなりません。


私は神経症の診断を受けて、去年の5月の中旬から8月末まで自宅で療養を続けていました。


その後、9月の初めから仕事を探し、紆余曲折はありながら、なんとか昨日まで仕事を続けることが出来ていました。


しかし、今日の埼玉医科大学病院での診察で、また医師から「療養したほうが良い」と告げられました。

今日はそのことについて話したいと思います。


きっかけは昨日のこと。昼休みに昼食をとっていたら、突然派遣会社から電話がありました。


それに出てみると、「今日限りでいま勤めている工場を辞めてもらいたい」と告げられました。
あまりに突然のことで、呆然としてしまいました。派遣会社からは、続けて「それで、次に入ってもらいたい仕事が、また工場なんだけど・・・」と、次の仕事に話されましたが、全くといっていいほど耳に入ってきませんでした。


それでも、「ハイ、ハイ、大丈夫デス」と機械的に受け応えをしてしまいました。


派遣会社からの電話が終わると、急いで近くの上司に訊ねました。「辞めてほしいという電話があったんですが、どうしてですか?」と。


そうしたら、上司はこう答えました。
「ウチの会社はコピー機を製造する会社として、主にネジ締めをやってもらっている。
木村くんにもコピー機ごとのネジの締め方を教えようとしたが、年度末で忙しくて時間が取れない。
それで、いまは部品を磨いたり削ったりする、雑用のような仕事しか与えられない。結果として、申し訳ないけどウチでこれ以上雇うことは出来ない。」


派遣社員はいつでも契約を切ることが出来るということはよく聞きますが、まさに自分はその憂き目に遭いました。
派遣社員として雇われている以上、仕方ないことといえば仕方ないことなのかも知れません。しかし、いくらなんでも勤め始めてから早すぎるとも、突然すぎるとも思いました。スゴく悲しかったです。


上司の話を聞き終わった頃には昼休みも終わっていました。私は、午前中から行っていた作業に戻ることにしましたが、このとき、私のなかにあるはっきりとした感情が生まれました。


死のう。


それまでにも「死にたい」と思ったことはありましたが、それは言わば希死念慮と呼ばれるボンヤリとしたものでしたが、このときの感情は、自殺願望とハッキリ言えるものでした。


こうして経緯を話していると、自殺を考えた理由が「会社をいきなりクビにされたこと」だと思われてしまいそうですが、少し違います。


確かに、繰り返すようにいきなりクビにされたことはスゴく悲しかったです。
しかしそれ以上に、神経症と診断されてから薬を服みながらも頑張ってきた日々がガラガラと音を立てて崩れていく感覚に襲われました。


神経症と診断され自宅療養を経て、派遣の仕事を何件か行いました。その多くが身体中が痛むようなつらいものでした。
その後、やっと固定のアルバイトとして自宅近くの運輸会社に勤めることになりましたが、人間関係のトラブルにどうしても耐えられず辞めてしまいました。
そして、今回勤めることになった工場は、運輸会社を短い期間で辞めてしまったことの反省もあり、1年間は勤めようと思ってました。
それなのに、いきなり電話でクビを告げられました。


5月の中旬から昨日まで、自分なりに積み上げてきたものが一気に崩れてゆくような、あるいはこうした日々がいつまでも続いていくような、強烈な虚しさを感じました。その強烈な虚しさが、自殺を考えた理由になりました。


繰り返すように、その次の日(つまり今日)は診察の予定が入っていましたから、予め工場には休みを申請していました。
埼玉医科大学病院は、山合いにある大きな病院です。最寄りの駅から少し逸れると、すぐ山のなかに入っていけます。


「予めカバンのなかにヒモ等を用意しておいて、診察が終わったら(いや、いっそのこと診察など受けなくても良いとすら考えていました)、その山のなかに入って行こう。
そして、山の樹々から枝の太いものを選んで、首を吊ろう。」
私は、午後からの勤務中、そのようなことばかりを考えていました。


また、家族や友人等、遺書を送る人や、遺体が発見されたとき身元が特定できるように、名前・住所・家の電話番号を書いた紙を上着のポケットに入れておくこと・・・そうした具体的な物事についても考えました。


正直、かなり本気でした。


しかし、それと合わせて考えていたことがありました。


元彼女に電話を掛けよう。迷惑だとは思うが、最期だし自殺の意志を自分の声で伝えよう。そう思いました。
また、最期に元彼女の声を聞いておきたいという思いもありました。


仕事が終わり、元彼女に電話を掛けました。しかし、いざ電話をしていると「死にたい」とは言えず、「いなくなってしまいたい」と話しました。
それでも当然ですが、元彼女に私の自殺の意志は明確に伝わりました。


そして、
「病院に行ってほしい。一人で行かせるのは怖いから、お母さんと一緒に行ってほしい。それだけは守って。」
と言われました。
また、
「落ち着いて。」
とも何度も言われました。


その言葉を聞いて、私のなかに少し変化が起こりました。別れたとは言え、一度付き合っていた相手です。そうした人に嘘はつきたくないと思いました。


「分かった。病院に行く。」と私は言いました。


そして、その次の日(つまり今日)、その通りに埼玉医科大学病院に母親と行きました。
工場をいきなりクビにされたこと、自殺を考えたこと等を、まくし立てるように医師に話しました。
すると、医師から「お母さんもいらっしゃっているようなら、来てほしい」と言われ、急遽私と母と医師との、三者面談のような診察になりました。


そこで、最初に書いたように、医師から「療養したほうが良い」と告げられました。


さらに医師の言葉を詳しく言えば、
「しばらく家で療養したほうが良い。次の仕事場の見学の話も出ているようだが、いまの精神状態から言って、仕事が出来るとは思えない」
というものでした。


そして、病院をあとにして、薬局で処方せんを待っている間、派遣会社に次の仕事場である工場の見学のキャンセルを申し込みました。


・・・ここまで読んでいただいてありがとうございます。
というわけで、去年の8月末以来、また療養生活をすることになりました。


ただ、神経症と診断されたばかりの頃とは違い、現在は気分の落ち込みや不眠はありますが、頭痛や息苦しさは殆どありません。
だから、家のなかにいても穏やかに過ごせると思います。


いつこの療養生活が終わるのか、自分の適職は何なのかといった疑問も溢れるように浮かびますが、医師からは「とにかく頭を空っぽにして休んでください。」と言われたので、焦らず、自然とそういうことが考えられる状態になるまで待とうと思います。


また、保険証の再発行と国民年金の免除は近いうちに行うつもりです。


・・・今回のことを聞いた元彼女や医師、なにより母親はとても驚いたでしょう。申し訳ないと思います。
しかし、飽くまで個人的な心境について言えば、話して良かったと思います。
自分の自殺してしまいたいという思いや、体調や精神状態・・・そうしたことについて気にかけてくれる人がいることを改めて認識しました。


なんでもかんでも「神経症だから」と理由を付けるのは好きではありませんが、それでも今回に限らず私が希死念慮を抱いたことがあるということは事実です。


しかし、次にそうした希死念慮を抱いても、今回感じた「自分を気にかけてくれる人がいる」という認識を思い出して、それを乗り越えたいです。


いまは、とりあえず医師の言葉の通り「頭を空っぽにして」休みたいと思います。
だから、このブログの更新頻度も少なくなると思います(元々あまり多くありませんでしたが・・・)。


とにかく、生きるつもりです。